先日の記事で、村上敏治の「主題は、児童生徒の課題になければならない」という考えを紹介しました。ここで「課題」という言葉を使っていますが、村上はこの「課題」についても著書の中で言及しています。
(以下、参考引用文献より抜粋)
道徳的自覚は自己から出発して自己に還るべきものである。道徳指導における指導過程は、基本的に、自己発見・自己克服・自己統一の筋道に置いて成り立つ。導入段階は、問題発見・自己発見の段階であり、終末は、他者の具体的生活経験を吟味することを通して、その学習経験と自己とを統一する段階である。道徳授業における主題の学習は、その学習過程において、自己を課題化することに他ならない。自己の直面している課題を見つめ、学習を通して、課題を追求し克服していく過程において、何らかの意味と程度において、自己が組み入れられ、自己が課題化されるものであってこそ、真に主題が構成されたといえるだろう。
(以上)
教材の人物の視点で問題(葛藤)を解決しようとすることを通して、おぼろげであった価値の理解が明確になる。それとともに、自己の考え方や経験に含まれる「課題」と向き合うことができ(自己の課題化)、今後の生き方を考えることができる。これこそ、道徳科の授業の意義である。このように村上は述べているのだと、私は読み取りました。
《参考引用文献》
村上敏治著『道徳教育の構造』(1973,明治図書)
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