道徳科の教材には、子供たちにとって身近な内容のものもあれば、偉人教材のように遠くに感じてしまうものもあります。日常生活にあり得る出来事が描かれている教材は、一見して授業がやりやすいように感じます。しかし、実際に授業をすると、「子供たちの心に響かなかったなぁ」と感じることが、私にはよくありました。
村上敏治は、教材の「近い、遠い」について以下のように述べています。
(以下、引用参考文献より一部抜粋)
主題の課題性について述べた時に触れたように、資料に関しても、日常の児童生徒の生活経験に「身近なもの」ということについての関心が、教師の側に強く、それに執着する傾向が多い。「身近」なものを否定することはもちろんあり得ないが、身近な話題をもった資料が、主題のもつ課題に適合するとは限らないし、また、児童生徒の真に切実な要求に応ずることも困難であり、主題のもつ課題に応ずることも困難である場合が多く、結果として、よほど吟味精選された児童生徒の生活問題をもって埋めなければ、主題を蔽うことが難しい。近いものが、かえって遠いというゆえんである。つまりこの場合には、教師の説話その他、一応位置付けられた資料を上廻るような補助資料その他によって上積みしなければ、主題のもつ課題に肉薄していくことは困難である。
(以上)
「近いものが、かえって遠い」という表現が秀逸です。まさに、道徳科授業の教材との距離感を的確に表現しているように感じました。
また、村上は「資料を上廻るような補助資料その他によって積み上げなければ(後略)」とも述べています。このことは、学習指導要領解説(中学校 P105)に、
道徳科においても、主たる教材として教科用図書を使用しなければならないことは言うまでもないが、道徳教育の特性に鑑みれば、各地域に根ざした郷土資料など、多様な教材を併せて活用することが重要である。 |
と書かれています。
他にも、例えば内容項目D「生命の尊さ」には、「生命倫理に関わる現代的な課題を取り上げ」と書かれています。
子供たちとの距離が近い教材の場合、村上が述べているように、一応位置付けられた資料(多くの場合、教科書)を上廻るような補助資料その他によって上積みすることが、主題のもつ課題に肉薄できる授業づくりのポイントになるということです。
《引用参考文献》
村上敏治著『道徳教育の構造』(1973,明治図書)