『道徳教育の授業理論 十大主張とその展開』という書籍が明示図書から復刊されました。その書籍のなかで、井上治郎は以下のように主張しています。
(以下、抜粋)
私はイギリスのジョン・ウィルソンの『道徳的思考』(1970)に見られる主張に共感する。なぜなら、この著書においてウィルソンは、道徳の分野における「人前のディスカッション」の重要性を特に強調し、これが同時に、道徳の授業の「目的」となるべきことを主張しているからである。
道徳的問題についての「人前でのディスカッション」、すなわち、道徳の授業の場合であれば学級集団が単位の「話し合い」は、ひとりひとりの子どもに、ア「なかまとの対話」、イ「資料の主人公との対話」、さらにウ「自分との自己内対話」を促さないではおかない。資料における「同質性」が誘いだす弁護的な意見と批判的な意見の対立は、特にウの「自分との自己内対話」を確実なものとすることを通じて、子どもたちに、「スキル」としての「一歩退いて自己の言動を吟味する道徳的思考力」を定着させることになるだろう。
私が道徳の授業に期待する、子どもたちに人それぞれの道徳をつくらせる機能は、ウィルソンの右の「道徳的思考」を育てる機能と言って言えなくもない。なぜなら、つくられるべき道徳は、より正確には、つくられつつある道徳であり、何よりも柔軟性を特質とすべきだと考えるからである。その意味では、「話し合い」は、私にとっても道徳の授業の目的そのものである。
(以上)
井上治郎は、「話し合い」こそが道徳授業の目的そのものであると主張しています。これは、特別の教科 道徳においてもいえることです。道徳科授業は、「対話」を通してこそねらいを達成できるものだからです。
《引用参考文献》
現代道徳教育研究会編『道徳教育の授業理論 十大主張とその展開』(1981,明示図書)
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