2022/03/26

つぶやき

 授業中の子供たちの「つぶやき」をどのように扱うか。挙手指名を重視している学級では、残念ながら「つぶやき」は時に身勝手で迷惑な行為と捉えられてしまうことがあります。 

 それに対して、園田雅春(2021)は『「つぶやき」は教師が意図する学校知と、学習者が経験的に知っている生活知、その両者の接点で瞬時に生じる花火であり、新たな学びの貴重な入り口になる』と述べています。園田にとって、「つぶやき」は学習における大変重要な要素なのです。

 確かに、道徳科の授業の中で「そんなのおかしい!」というつぶやきが生まれる時がありますが、それは子供たちの実体験(生活知)と教材の内容(学校知)がぶつかった時に生まれます。園田の言葉を借りると、まさに「瞬時に生じる花火」なのです。そのつぶやきの花火が、授業を色鮮やかなものにしてくれるのです。

 また、園田は、子供の生活知と学校知が呼応する授業を創り出すには「余白」が必要だと伝えています。時に教師は授業の流れを直線として設計してしまいます。直線型の授業設計は、子どものつぶやきが入り込む余地を奪ってしまうことになります。つぶやきを生むために「余白をつくる」ということは、授業づくりの際に気をつけたいポイントの一つといえるでしょう。


《引用参考文献》

園田雅春『「つながり」を育み授業を愉しむ』(2021,解放者出版)

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