井上治郎(1981)は、「道徳の授業は『資料を教える』ことに徹するべきである」と主張しています。その理由の一つとして、道徳の授業が、道徳的価値とか徳目とかを教える授業にだけはしてはならないという井上の願いがあるようです。
さて、「資料を教える」を主張している井上は、その資料の提起する話題がリアリティをもつことの決め手として「同質性」を要求しています。子どもたちが主人公の立場になって考えたとき、自分もこうした状況下においてなら、この主人公と同じようなことを考えたり、やったりしかねないと思える節が、多かれ少なかれ含まれていることを資料の不可欠の条件として説明しています。
そのような資料(教材)が引き出す子どもたちの意見は、批判的な意見と称賛的(弁護的)な意見の対立というかたちをとります。したがって、そのいずれかの意見の対立を前提(出発点)として、子供たちの話し合いを組織化するのが道徳の授業の姿であると、井上は述べています。
《引用参考文献》
現代道徳教育研究会編『道徳教育の授業理論 十大主張とその展開』(1981,明示図書)
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