「価値の一般化」の提唱者は元文部科学省視学官 青木孝頼です。青木(1966)は、「ねらいとする一定の価値の本質を子どもたちに把握させ、体得させる」ことを価値の一般化と捉えています。
しかし、道徳の時間(当時)の素材は常に特殊な内容の一事例であるため、価値の本質がその特殊な内容に含まれているにもかかわらず、子供たちが「特定場面における価値」として把握してしまうことを青木は危惧しました。特定場面の価値の指導のみになってしまうと、道徳の時間の効果的な指導であるとはいえないからです。
道徳の授業では、「特殊な内容の一事例」を扱う教材における価値の把握を通して、それを現在および将来にわたる子どもの全生活経験と結びつく「価値の本質」としてとらえさせることが大事であり、ここに、価値の一般化を図るくふうの必要性が強調されることになったのです。
また、元文部科学省教科調査官 瀬戸真は「一般化という学習過程には、段階として『特定化』と言える作用がある」と述べています。その過程を経て一般化されるということです。
つまり、「困っている人がいたら親切にしてあげたい」という気持ちから、「ぼくはうちのおばあちゃんのふとんをあげてあげよう」という特定の場面の思考が生まれる。このような特定の事例がいくつか発表されることによって、「ああ、そうあ、そんなところにも生かすことができるんだなぁ」という一般化を生むことになる。こうした一連の学習過程を「価値の一般化」と呼ぶとしています。
《引用参考文献》
現代道徳教育研究会編『道徳教育の授業理論 十大主張とその展開』(1981,明示図書)
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