ある会議での臨床心理士の方の言葉が心に残りました。
「書くことには自意識の規制がかかる。読み手を意識しすぎて、自分の言葉でなくなる時がある。逆に、話すことは声に出してみないと何が起こるか分からない。何を話していいかが分かりづらく、不安にもなる。ぐるぐる頭を回しながら言葉を探し出すので、自意識はかかりづらい。ライティング・セラピーがあまり流行らないのは、そのあたりが関係しているのではないだろうか。」
これを聞いた時、頭の中に道徳科授業でのワークシートが頭に頭に浮かびました。中心発問などでワークシートを書かせる授業をよく見かけます。その理由として、「書くことで頭の中を整理できる」「じっくりと自分の考え方を見つめられる」などが挙げられます。しかし、ワークシートに書かれる言葉には自意識がかかってしまい、子供たちの心からの言葉ではなくなってしまうかもしれません。そうであれば、悩みながら詰まりながらでも、「ことば(発せられる声だけではなく、視線や動作なども含む)」でやりとりをする方がよいのではないかと考えさせられます。
もちろん、発達段階や学級の実態によってどちらが適しているかは異なります。ただ、
「中心発問では必ずワークシート」「ワークシートを使うべき(使わないべき)」というような、絶対的な「型」を一度見直してみてはどうだろうかと考えます。
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