2022/09/01

「告白もの教材」の扱い方について〜卒業文集最後の二行〜(2)


 『卒業文集最後の二行』では、回想場面の中で「この場を借りてざんげしたい、いや、せずにはいられない出来事がある。深い深い後悔。取り返しのつかない心の傷だ。」という表現があります。この記述に関して、岩手大学の佐々木は以下のように述べています。

(以下、引用参考文献から抜粋)

 筆者である一戸氏は、「この場を借りて・・・」と執筆の機会の場で、多くの人に読まれることを理解しつつ、公表することでざんげ(懺悔)の気持ちを表そうとしている。つまり、告白が悔い改めであり、白日の下に晒すことで、救いを求めているとみることができる。

 回想形式で書かれる理由は、時間が経過し、成長してわかること、気がつくことであり、ふり返って、その時の過ちに気づき、自分の弱さを乗り越えられる成長がともない、自分を客観的に見れるようになる時間が経過したことで、自分の行為の浅ましさ、いやしさ、醜さ、といった利己心に凝り固まっていたことに気がつく

(以上)

 この佐々木の記述の中にこそ、「卒業文集最後の二行」を道徳科授業で扱う意味があると私は感じました。中学校三年生の生徒は、「いじめはいけない」「いじめをなくすためには、何が大切か」という授業をこれまでに何度も受けています。

 だからこそ、この教材では、私(一戸氏)の視点で、いじめを行ってしまったことの後悔や、自分の心の弱さについて考えさせることで、生徒自身がもつ不公正さを見つめさせることが大事になると考えます。


《引用参考文献》

日本道徳教育学会第99回大会(令和4年度春季大会)プログラム・発表要旨集

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