2022/09/12

社会構成主義と道徳(4)「固定化された言葉」


 道徳科授業を参観していると、「本当の◯◯とは、〜。」という終末(ふり返り)になる授業を見かけます。本当というものが、誰にとっての本当なのか。あるコミュニティの中でだけ通用する本当かもしれませんし、そもそも一つの答え(正解)に子供たちを導くことは道徳科授業の目的に沿っていないと考えます。

 さて、心理学者のゲーガンは、以下のように述べています。

(以下、抜粋)

 唯一無二の真実を探し求める人は、世界をたった一つの固定された言葉へと単純化しようとします。唯一無二の真実を宣言するということは、言葉を「急速冷凍」して、その結果、新しい意味が現れる可能性を狭めてしまうということです。

 一方、構成主義者が支持するのは、「常にいつまでも開かれたままの対話」です。そこには常に、もう一つの声、もう一つのビジョン、もう一つの構想や修正案という余地があって、「関係」にはさらなる広がりがあります。

(以上)

 「言葉を急速冷凍する」という表現が興味深いです。確かに、一つの正解に導かれると、私たちの心は冷めていくことを感じます。子供たちも「どうせ正解は〜でしょ」と、心が冷めた状態で道徳科授業に参加しているかもしれません。

 授業時間は限られているので、どうしてもどこかで「その日の授業」は終了せざるえません。私もよく「道徳の授業はいつも途中で終わるね」と子供たちに言われました。対話が広がるほど、子供たちの言う「途中」で終わっていました。しかし、そのような授業の方が、子供たちは自分の思いをノートに書き綴っていました。それは、一つの正解に導く授業ではなく、常に新しい意味を学級全体で模索する授業ができていたということかもしれないと、今では思っています。

 その授業で見つけた真実は本当に真実なのか。その真実について、自分はどのような意見をもつのか。授業後も考えたり表現しようとしたりできる子供たちを育てたいものです。


《引用参考文献》

ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン著『現実はいつも対話から生まれる 社会構成主義入門』(2018,ディスカバリー・トゥエンティワン)

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