2022/05/03

人権教育の研究大会の意義


 先日の記事で「人権教育の推進にはカリキュラムデザインが大事である」ということを述べました。その続きとして、本日は人権教育の研究大会について述べてみます。

 「研究大会」を開催するとなると、その準備に負担を感じる方が多いでしょう。その中でも、当日の授業公開の準備を特に大変だと感じるのではないでしょうか。

 しかし、先日述べた通り人権教育で大事にしたいことはその学校でのカリキュラム・デザインです。あなたの学校の福祉学習は、子供たちの心に届いていますか。いじめに対して6年間をつなぐカリキュラムが構築できていますか。平和学習を6年生の社会科のみで終えていませんか。

 それらのカリキュラムを見直す場が研究大会になるのです。公開授業の発問や展開を協議・検討する場ではないということです。子供たちの深い学びをデザインしたカリキュラムになっているのか、そのことについて発表・検討する場になるのです。そして、そのカリキュラムの一環を当日公開するのです。

 さて、そうは言ってもやはり公開授業は気になるところです。ここで意識したいのは、その授業での学びは人権教育の3つの側面のどれに当たるかということです。知識的側面ですか。態度的側面ですか。それとも、技能的側面ですか。

 人権教育の大会で必ず道徳科授業を公開する必要はありません。他の教科・領域でも問題ありません。あくまで、学校全体のカリキュラムの一部を切り取って公開することになるので、どの場面を切り取っても構わないのです。ただし、どの人権課題を扱っているのか、人権教育のどの側面の育成をねらっているのか、そして、カリキュラムのどこに位置付けられているのか。それを明確にする必要があるでしょう。

 また、様々な人権課題について、「本校は当事者がいないので関係がない」としてしまうことは大変危険です。なぜなら、差別は「外」で起こるからです。差別をするのは、人権課題によって苦しんでいる方々ではありません。一見無関係な立場の人が差別や偏見を引き起こすのです。そうであれば、子供たちを「差別する側」にしない教育が大事になるのです。

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