2022/05/26

三びきは友だち(4)


 本教材を読んだ時、皆さんは登場人物の誰の視点で物語に入り込みましたか。私は・・・、ぽんきちの視点になりました。自分だけが悪者にされて怒られる・・・。きっと悲しかったことでしょう。

 さて、学級の子供たちも、教材を読んだ時点でどの人物の視点でお話の世界に入り込むかはそれぞれです。その「視点」を教師がどのように扱うかも、授業づくりでは大事になります。なぜなら、教師は中心人物のぴょんたになるという前提で授業を設計していることが多いので、そのままでは思考の前提(視点)が揃わないからです。その場合、教師の発問が子供たちに届かない(理解されない)ということが起こってしまいます。

 私のようにぽんきちの視点でお話に入っているのに、教師からは「ぴょんたになりきって考えよう」と言われると、授業に入ることを難しく感じてしまいます。そこで、その難しさに対応する手立てとして、授業のはじめに「ぴょんたになって考えてね」と伝えることで物語に入る視点を与えることが考えられます。この場合、全員の視点をすぐに揃えられる(考えやすくなる)というメリットがありますが、子供たちの自由な思考を妨げてしまうというデメリットもあります。学びの主体者は子供たちなので、やはり思考(視点)の自由さを大事にしてあげたいところです。

 もちろん、視点の与え方を工夫することで子供たちの主体性を引き出すことも可能です。

例えば、教材の範読の前に、お話の前半(くまおじさんの登場する場面まで)を教師が挿絵を使って説明します。「花壇をめちゃくちゃにしたのは誰だ」と叫ぶくまおじさんに対して、ぴょんたはどのような行動をとったのかを子供たちに自由に想像させます。その想像を発表させたあとに範読をすると、子供たちはすでにぴょんたの視点で物語に入り込みます。そして、自分の想像と異なる行動をしたぴょんたに対して、「えっ!」「おかしい!」とつぶやくでしょう。これが、視点を揃えたうえで主体性も大事にできる授業展開の案の一つです。

 なお、そのつぶやきの中には、「不合理な言動をおかしいと感じる心」が込められています。しかし、2年生の子供たちは、その心を自覚していないかもしれません。言葉では上手く表現できないかもしれません。だからこそ、つぶやきを拾い、その心を自覚させてあげる必要があるのです。



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