2022/05/15

少しの間


 矢原(2016)によると、セイックラは「間」の意義について以下のように述べています。

(以下、抜粋)

「『『お父さんがいなくなったらこわい』とおっしゃるんですね』と話しはじめ、少し間をおくことで、クライアントが本当にそう言いたかったのかを考え直すための『間』をつくるとよいだろう」(Seikkura & Arnkil 2006=2016:69,2014:61-62)

(以上)

 ここで注目をしたいのは「少し間をおく」という表現です。このさりげない表現は、つい読み流してしまうものかもしれません。しかし、セイックラはこの「少しの間」の重要性を説いています。それは、考えを声に出して話すだけではなく、自分が他者に話したことを自分で聞くことができる『内なる対話』を可能にするからです。

 さて、会話においての「間」について、アンデルセン(2007)は三種の間を意識すべきと指摘しています。


三種の間

 ①相手が息を吐いた後、次に息を吸い始める前に生じる間。

 ②何かを話した後、たった今自分が話したことについて考えるために生じる間。

 ③今話したことについてリフレクティング・トークであらためて話され、それによりあらためて新鮮に考えるために生じる間。


 道徳科授業において、例えば②の「自分が話したことについて考えるために生じる間」はとても大事になるのではないでしょうか。子供たちの発言の後、少し間をおいてから「もう少し詳しく教えてほしいな」と伝えることで、その子供の頭の中で「僕はどんなことを話したのだろう。なぜ、先生は僕の発言を聞きたいと言っているのだろう」と「内なる対話」を始めることでしょう。

 また、③の「間」も大事になります。ある児童の意見を取り上げ、その意見を全体で協議する際、その児童は協議を聞くことで自分の発言を外から見つめることになります。頭の中で「自分の思い」と「他者の思い」が対話を始めるのです。その内なる対話のための「少しの間」は、やはりとても重要だと考えられます。

 日々の授業の中に「少しの間」は存在しているか、一度ふり返ってみたいものです。


《引用参考文献》

矢原隆行『リフレクティング 会話についての会話という方法』(2016,ナカニシヤ出版)

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