ヤーコ・セイックラ(2008)は以下のように述べています。
(以下、引用参考文献から抜粋)
『オープンダイアローグにおける対話には、すべての参加者のあいだで行われる「水平のダイアローグ」と、それによって触発された個人の内部での「垂直のダイアローグ」の2つがあり、この2つの対話の協同こそが重要なのである(Seikkula 2008)。』
(以上)
先日紹介した事例をもとにすると、ある児童が地域清掃についての経験を話題にしました。それを聴いている他の児童の心の内部にも地域清掃に関する連想が生じます。そのような連想が「水平方向のダイアローグ」になるようです。そして、それを通じて個人の内部でも地域清掃に関する内なる声との自己内対話が始まります。これを垂直方向のダイアローグになると考えます。
これは一見単純なものに思えますが、これまでの授業では教師のもつ正解を子供たちに教えようとしてきました(そのつもりはなくても、結果的にそのようになることが多かったように思います)。いわゆる、垂直方向の権威的存在(教師)から個人に向けられた指導になっていたのです。
しかし、オープンダイアローグの考え方を参考にすると、道徳科授業における対話は、水平方向の対話(他者との対話)が垂直方向の対話(自己内対話)を支える、または抑える役割になると考えることができます。垂直方向の対話、いわゆる「内なる声」も時に超越的な権威として作用します。これまでの経験から「絶対に〜だ」「どうせ〜になる」という声で個人の変容を防いでしまいます。しかし、水平方向のダイアローグによって支えられた状況のなかで垂直方向の対話が行われることで、垂直方向の声を過剰に権威化させることなく、個人における変容を引き起こすことが可能になるということをセイックラは論じています。ここに、道徳科における「他者との対話」の必要性を見つけることができます。
《引用参考文献》
石原孝二・斎藤環(編)『オープンダイアローグ 思想と哲学』(2022,東京大学出版会)
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