2021/12/22

教師の役割

 河野哲也氏の『道徳を問い直す リベラリズムと教育のゆくえ』を参考に、道徳科授業における教師の役割について考えていきます。

 河野氏は著書の中で教師の役割について以下のように述べています。

(以下、抜粋)

 子どもは、ときに経験不足である。自分の狭い範囲の経験しか知らず、人間の交際範囲も限られているかもしれない。歴史や文化比較の知識がないことから、現在の自分が住んでいる社会の出来事を相対化する視点に乏しいかもしれない。議論教育における教師の役割は、教室において欠けているかもしれない多様性をもたらすことである。多様で異質な観点を導入することによって、ピアジュ的な言い方をすれば、子どもの考えを脱中心的することができる

 よって、教師の役割は、老人になることであり、赤ん坊になることであり、文化的に異なったひとになることであり、別の地域の人になることであり、性的マイノリティになることで、過去の人物にんることであり、障害や疾病を持った人になることであり、少数派の嗜好を代表することである。その人たちの観点から問題がどう見えるかを示唆することである。議論教育において教師に役割があるとすれば、議論にそれまでなかった異化作用をもたらすことである。

(以上)

 教師の役割は「多様で異質な観点を導入すること」だと河野氏は伝えています。これは対話場面において多面的・多角的に考えさせるための手立てを充実させる必要性を訴えているのだと私は感じました。

 「多面的」という視点で、道徳的価値のもつ様々な側面を考えさせるための問いを用意するということ。

 「多角的」という視点で考えさせるために少数者の視点を対話に取り入れたり、現実社会の課題に気づかせるための資料を用意したりするということ。

 そして、そのためには教師自身の多様な学びも大事になるでしょう。なお、多面的・多角的に考えさせる際には、教師の発言に引っ張られる児童生徒が教室に一定数いることに配慮することも必要になります。「教師=正解」(先生が答えを言ってくれる)という認識だけの教室では、多面的・多角的に考えさせようとする教師の手立てが混乱を招くだけになってしまう恐れがあります。日々の学習活動のなかで、多様な意見にふれる経験や教師と議論をするような経験を積んでいくことも大切であるといえるでしょう。


《参考引用文献》

河野哲也『道徳を問い直す リベラリズムと教育のゆくえ』(ちくま書房,2011)

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