大阪体育大学の髙宮正貴氏は、著書の中で「共感性」について2つの側面を紹介しています。
この2つの側面に関して、どちらの側面を我々は日々の授業で大事にしているでしょうか。「読み物道徳」と揶揄されている従来の道徳科授業においては「感情的理解」が重視されていたように思います。自身と登場人物を同一化することにより、その喜びや悲しみを自分ごととして捉えられることを目指す授業設計をしていた方も多いのではないでしょうか。
精神医療の場面においては、「認知的共感」が大事にされているように認識しています。「わたしはわたし。あなたはあなた。あなたのことが分からないことが前提として、あなたのことをできる限り知りたい」というスタンスで対話をされていると聞いたことがあるからです。「感情的共感(代理経験)」だけでは、相手から流れ込んでくる負の感情でを抑えられなくなるからだと聞きました。
では、現在目指している道徳科授業ではどうでしょうか。私の認識としては、これまでの経験から「認知的側面」と「感情的側面」の両面をバランスよく体験させていく(身につけさせていく)ことが大事だと思っています。教材や学級の実態に応じて「共感」という言葉の捉え方も柔軟に変わるべきだと考えています。
《引用参考文献》
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(北大路書房,2020)
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