2021/12/09

日本学術会議 審議報告書(1)


 2020年6月に日本学術会議の哲学委員会で「道徳教育」に関する分科会審議が行なわれました。その審議結果が『道徳科において「考え、議論する」教育を推進するために』として日本学術会議のホームページにアップされていますので、ぜひご覧ください。その報告書を読んだ感想について、今回は批判的に述べていきたいと思います。

 まず、道徳科授業において「哲学的な思考(非判的・反省的・対話的)」がとても重要であるという感想を改めて抱きました。その反面、これまでの授業の中で、範読の時点で涙が流したり、心動かされ声をつまらせながらも自分の思いを必死に発言する子の姿も見てきました。その場面は決して「活発な対話」が生まれているわけではありませんでしたが、子供たちの「生き方の自覚」が確かにあったと感じています。審議報告を読んでいて、どうも後者の授業観は議論の壇上に乗っていないように感じられました。先述している髙宮氏の著書に「共感性」(認知的共感と感情的共感)の説明もありましたが、やはり感情的共感を通して「自己を見つめる」という過程も大事にしていきたいところです。

 さて、本報告では「道徳教育への哲学的思考の導入」が訴えられていますが、9年間を通して身につけさせたい学習スタイルを低学年教材を例にして批判していることに少し違和感を覚えました。発達段階を考慮せず論じているのではないかということです。例えば「およげないリスさん」の場合、小学校1年生での授業となります。学校に入って間もない子供たちに、りすの置かれている状況を「対社会への訴え」と捉えることがどれぐらい可能(必要)なのか、その議論を求めたいところです。

 教材分析の段階で教師がそのような理解をしておくことはもちろん大事です。本文の中にも「自分自身や生徒が無自覚に自明視している価値観を自覚する」ことの必要性が述べられていますが、この教材を「親切、思いやりが大事」という認識だけで授業をしてはいけないということは賛成です。多面的・多角的に分析して教師の「発言を受ける力」を高めておくことで、一面的な授業から脱却できると思われるからです。

 そもそも、批判的思考はどの発達段階から身につけられる(身につけさせる)ものなのでしょうか。道徳科の弱みとして、内容項目理解の段階については学習指導要領で明確にされていますが、身につけさせたい「学ぶ力」についての段階は明確にされていません。その点については今後の議論が必要ではないかと思っています。低学年の時から多面的・多角的に考える経験を重ねさせるとともに、その際の思考過程を自覚させることで、学び方を少しずつ獲得させていくことが求められているのではないかと思っています。

 そうすることで、教師のみが発問を出すのではなく、子ども自身に考え方(問い方)を身につけさせることができ、最終的に自分たちで発問を作り出していく学級になれる思っています。9年間の縦のつながりのある道徳科授業だからこそ、それができると思っています。


《参考引用文献》

日本学術会議 哲学委員会 哲学・倫理・宗教教育分科会報告『道徳科において「考え、議論する」教育を推進するために』(2020年6月)

髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(北大路書房,2020)

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