道徳科の授業において、「教える」という授業行為(教師の認識)をどのように思われるでしょうか。他教科では「教える」という行為が当たり前にありますが、道徳科での「教える」という行為に対しては批判もあるでしょう。では、「教える」ことなく、どのようにして子供たちの成長を促すことができるのでしょうか。
畿央大学の島恒生氏は、講演の中で「ないものを教えるのではない。心のなかにあるものに気づかせる」ということを述べていました。目の前の子供たちは、その生きてきた日々の中で様々な経験を重ねています。現実の葛藤場面に対峙し、自ら判断を迫られ、よりよいと考えられる行為を積み重ねてきています。実は、道徳科の授業で学ばせるべき見方・考え方を子供たちはすでにもっているのかもしれません。
しかし、それは「自覚した行為」ではなく「無意識の判断」だったかもしれません。曖昧な判断基準だったのかもしれませんし、反省する機会がなかったかもしれません。
道徳科の授業は、そのような「無意識の判断」を想起・分析・反省させる機会になるのではないでしょうか。教材を通して自らの経験や考え方を見つめさせることにより、自分の判断基準を明確にさせたり大事にしたいものに気づかせたりすることができるということです。
しかし、上記で述べたようなことは道徳科授業の時間だけでできることではないかもしれません。島氏も「ふだんの学校生活の中で子供たちに投げかけているでしょうか」と述べていましたが、日々の生活の中で語り合ったり深く考えたりする機会をどれぐらい設けることができるかがポイントになりそうです。
このことに関して、島氏は「道徳教育年間計画 別葉」が大事だと述べていました。他教科や学校行事の中での道徳教育を充実させることが道徳科授業の充実にもつながるということです。
「別葉」の作成が、計画のための計画になっていないでしょうか。今一度「別葉(計画)」を見直してみてはどうでしょうか。
《参考》
「道徳発問ラボ 島先生と考える!!道徳オンラインセミナー」(2021年12月5日)
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