(前記事から続く)
髙宮氏は、「道徳的価値の自覚」について『すでに感情的には大切さを実感できていることであっても、その大切さを改めて知的に理解することが「道徳的価値の自覚」につながる』と著書の中で述べています。感情的に実感していることを再度知的に理解することが、児童生徒の内面に「内なる規律」をつくることにつながるということです。
そして、我が国の道徳教育を、髙宮氏はこの意味で「理性主義」あるいは「合理主義」であるとしています。なぜなら、上記したように、理性によって考え、みずからの行為の指針をみずから決定することを重視しているからです。
※「理性主義」とは、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの「自律の思想」に基づくものになります。
『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』P7を参考に筆者作成
さて、心理学者の山田洋平(2019)は「認知的共感は他者の感情理解を利用した攻撃的行動につながる可能性があるので、これからは感情的共感の育成を重視すべきだ」と論じています。相手の心情を理解することを悪用して生まれる罪を危惧しているようです。現実社会での詐欺行為等がこれに該当するのでしょう。
山田氏の論は、どちらかと言えば従来の道徳授業のよさを大事にしてほしいと訴えているように感じられました。これに対して髙宮氏は、「人間が知的な価値理解を悪用するからといって、それを最初から教えないということは人間の自由を軽視することである」と批判しています。そのうえで、「人間には、善と悪をともになし得る自由があり、それでもなお、善を選択するところに人間の気高さがある」と述べています。
私はこの部分を読み、「なるほど!」と声をあげたくなりました。頭に思い浮かんだのは教材『手品師』です。手品師は少年の心情を深く理解したうえで、その願いを裏切らないよう巧みに行動や言葉を考えることができたかもしれません(少年の気持ちを悪用したわけではありませんが)。しかし、それでも手品師は少年の前で手品をすることを選択しました。この行為こそを「人間の気高さ」と呼ぶべきものだと理解できました。
『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』P7を参考に筆者作成
知的な価値理解こそが道徳性の自覚につながるという「理性主義」をもとにした道徳科授業において、髙宮氏の説明はとても分かりやすいものであり、私たち授業者が大事にしていきたい視点であると感心させられます。
さて、近年の道徳科授業では「考え議論する」ことが求められています。その結果、「道徳的価値を言葉で理解しようとすること」に重きを置いた授業が多いように感じています。しかし、そのような授業を参観するほどに、私は何か大事なものを忘れてしまっているかのように感じられてしまうのです。その大事なものこそ「共感性」なのではないでしょうか。
読み物道徳と揶揄される従来の道徳授業に対する批判を、どうやら教材の人物に共感することに対する批判と同意とみなされている認識している自分がいます。「共感すること」を軽視してはいけません。「共感」から生まれる対話や気づきこそが深い学びにつながるものであり、その学級でしか生まれない「道徳科授業という感動」が生まれる可能性があるのではないかと思っています。
《引用参考文献》
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(北大路書房,2020)
0 件のコメント:
コメントを投稿