哲学的思考について、本審議報告では「あるテーマや主張に対する、根本的に批判的で(根拠を問い直す)、反省的で(自分の行動や思考方法の足元を見直す)、対話的な思考としての哲学的思考」と記載されていますが、このことは現学習指導要領の目指す学びの姿と同じ方向性ではないかという感想も抱きました。「批判的」は「多面的・多角的な思考過程」であり、「反省的」は「自己を見つめる」ということになるのではないでしょうか。そうであれば、哲学的思考の導入という提案については現状の道徳教育(道徳科授業)の問題ではなく、学習指導要領のねらいを実践できていない学校システムに問題があるのであり、議論の根本が違ってくるように思います。
P16には「道徳について反省的・批判的に考えるには、他者との深い対話が欠かせない」と書かれていますが、道徳科の授業は「道徳について考える」ことを最終的に目指しているのではなく、やはり「自己(人間)の生き方を考える(道徳性を育てる)」ことをねらいます。考え議論させることの重要性には全面的に賛成なのですが、目指しているゴールが異なっているように感じてしまいます。道徳の明確化(理解・納得)ではなく、それを過程として子供たちの道徳性の育ちを目指しているので、そのためには、やはり「認知的共感」も必要であると思っています。
また、本報告で「対話」は「道徳を明確にするためのもの」という立ち位置になっています。そもそもの「対話」という言葉の位置づけが本議論では一面的ではないかと思いました。心理療法の一つに「オープンダイアローグ」という手法(考え方)がありますが、その中では「言葉こそが現実を構成している」という捉え方になっており、「言葉の回復」を通して「現実の治癒」をもたらすことをねらいます。道徳科授業の「対話」においても、時にはそのような「対話(語り)」があってもよいのではないでしょうか。
さて、「権利の問題として対他的社会的に検討される合理配慮や性差の社会的役割などが「思いやり」などの心の問題に矮小化される「心理主義化」の傾向が見られる」という問題も述べられています。このことに関しては、道徳教育と人権教育をつなげることで解消されるのではないかと思っています(P10にも道徳教育はシティズンシップ教育や人権教育と連続させて進める必要があると記載されています)。「およげないりすさん」や「かぼちゃのつる」も、人権教育の観点から教材を分析するとすっきりとします。つるを伸ばそうとするかぼちゃをわがままとするか、みんなとおなじようになりたいという心の訴えとするかで、授業で考えさせたい学習内容が大きく異なってきます。授業者はその両面を意識しながら、子供たちの発言をコーディネートする必要があると思っています。
どちらにしましても、我々は「哲学」についてもっと学ばないといけないということを強く感じています。
《参考引用文献》
日本学術会議 哲学委員会 哲学・倫理・宗教教育分科会報告『道徳科において「考え、議論する」教育を推進するために』(2020年6月)
斎藤環『オープンダイアローグとは何か』(医学所院,2015)
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