本日は松下良平編著の『新・教職課程シリーズ 道徳教育論』を読んだ感想をまとめていきます。
本書の第7章で、千葉大学助教(執筆当時)の市川秀之氏が「深い学び」について論じています。(以下、一部抜粋)
『松下良平に従えば、深い理解とは、理由のみではなく選好(行為の結果に対する価値づけ)も含んだ理解を指す。たとえば、「◯◯してはいけない」という禁止の深い理解は、なぜその行為をしてはいけないのかという理由に加え、それをした場合にもたらされる事態の否定的な価値づけも含んでいる(『知ることの力』)。』
(以上)
このことについては、先述した大阪体育大学の髙宮正貴氏の主張である『すでに感情的には大切さを実感できていることであっても、その大切さを改めて知的に理解することが「道徳的価値の自覚」につながる』ということと同意であると理解します。
さて、市川氏は、これからの道徳授業において、徳目(いわゆる内容項目)を一方的に教えるだけでは不十分であるとしています。なぜなら、グローバル化する世界において共に生きる際には、多様な人々の置かれた状況や利害関係などを知り、それらと自らの意見を突き合わせながら道徳の内実および妥当性を決めていかなければならないからだと説明しています。
日々の道徳科授業においては、児童生徒が自らの意見や選好を見直し、必要であればそれらを修正するよう促す以下の①〜③のようなアプローチを求めています。
①(話し合いを通して)自らの意見やそれを支える選考の明確化 |
②(話し合いや文章作成を通して)必要であればそれらを変容させること |
③上記を通して、我々は何をなすべきか、またそれはなぜかについての深い理解を獲得し、共に生きるための道徳を創出する。 |
このことから分かることは、学びの過程において「話し合いを通す」という学習活動が大事にされているということです。道徳科授業において「考え議論する」ことが求められているのは、このことに関係しているのでしょう。そのために教科書教材があり、様々な学習活動が工夫されるべきなのです。
もちろん、こうしたアプローチが常に成功するとは限らないことも市川氏は述べています。意見の対立が解消されなかったり、選好の変容が起こらなかったりする場合も起こり得ます。しかし、「互いの理由づけや選好の確認に終わったとしても、学習者が自らの道徳性を客観視する機会を得たのであれば、道徳教育の意義はあると言える」という説明もしています。
「今日の授業は深まらなかった」という感想を聞くこともあります。その「深まり」の判断をしているのは教師です。もしかしたら、その授業は子供たちにとって自らの道徳性を明確・客観視できたことに大きな意義のあった授業なのかもしれません。そのようなことも日々意識しておきたいものです。
《引用参考文献》
松下良平編著『新・教職課程シリーズ 道徳教育論』(2014,一藝社)
髙宮正貴『価値観を広げる道徳授業づくり 教材の価値分析で発問力を高める』(北大路書房,2020)