青木(1983)は、「価値の一般化」の課題として以下のように述べています。
(以下、著書より一部抜粋)
道徳の指導過程の基本型とされるものの中には、価値の一般化の段階の代わりに、「生活化」という言葉を用いている場合も少なからず見出される。(中略)「価値の一般化」という言葉を避けて、そのことを「生活化」と呼ぶのであれば、両者は単に表現の違いだけであって異なるものとは言えない。しかし、「生活化」という言葉が広く用いられることは望ましいとは考えられないのであり、特に道徳の時間の特質が十分に把握されていない学校、指導者の場合には誤った受け取り方をされるおそれが極めて大きいと思われる。すなわち、資料を取り扱った後に、子どもたちに直接実践を志向させる指導をもって「生活化」であるとする例が少なくないからである。「資料中の主人公のように、実際に行動できるか」「明日からどのように行動しようと考えるか」などの、いわゆる決意を表明させる指導が「生活化」であるとする限り、「価値の一般化」とは異なるものと考えなければならないし、このような「生活化」は「価値の一般化」を妨げることにもなることを忘れてはならないのである。
(以上)
上記の記述からは、「価値の一般化」の理解を誤ると、単なる決意表明(生活化)になってしまい、道徳科の本質と離れてしまうということを知ることができます。
《参考引用文献》
青木孝頼編著『価値の一般化の発問』(1983,明治図書)
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