2022/07/30

ペアトーク


 「教室マルトリートメント」の見つめ直しを提唱している川上(2022)は、ペアトークについて以下のように述べています。なお、「マルトリートメント」とは、mal(悪い)+treatment(扱い)で、「不適切な養育」「避けたい関わり方」などの意味で使われます。教室の中で考えると、違法行為の一歩手前のレベルの「行き過ぎた指導」や、これまでは当たり前に行われていた指導だけれども、あらためて考えると子どもの心を傷つける要素のもつ不適切な指導のことをいいます。

(以下、抜粋)

 今の子どもたちが求めている授業をキーワード化すれば、「参加感」と「達成感」に集約されるのではないでしょうか。参加感が薄くなったり、達成感がないと感じ始めたりすると、あっという間に、子どもたちの気持ちが授業から離れていく姿を見せるからです。そのためには、小刻みに考えたり、お互いの意見をアウトプットしたりする時間を確保する必要があります。その具体的な方法の一つが、ペアトークやペア活動です

(以上)

 このように、ペアトークは、子供たちの主体的な学びを保証するために大変有効だと言えます。そのうえで、川上はペアトークの意義を5つ述べています。 

(1)アウトプットすることで記憶を定着させる。

  →頭で分かったつもりのことを、自分の言葉で整理し直すことができる。

(2)理解レベルや活動の進捗状況をそろえることができる。

  →「ここまでで大切だと思ったことを伝え合おう」などの時間を設けることで、理解度や進み方をそろえることができる。

(3)他の人のフィルターを通して学べる。

  →同じ話を聞いても人によって感じ方は異なるので、それを伝え合うことで新たな視点を獲得することができる。

(4)集中を続けるために、いったん解放(ガス抜き)する効果がある。

  →話を一方的に聞き続けることが難しい子が、気持ちを切り替えることができる。

(5)考えを整理させたり、自信をもたせたりする。

  →全体発表の前にペアで話しておくことで、考えを整理させることができる。事前の発表練習もできるので、自信をもたせることもできる。


 これらのことから、他教科はもちろん、道徳科授業においてもペアトークを取り入れることは大変有効であるといえるでしょう。


《引用参考文献》

川上康則『教室マルトリートメント』(2022,東洋館出版社)

2022/07/29

道徳科教材でおこなう人権教育

 4年生教材「ヒキガエルとロバ」の授業を考えます。多くの場合、ロバの行動によって変容する中心人物(アドルフ)の心情を理解することに重きを置いています。このことに関して、園田(2021)は、ヒキガエルの気持ちを想像させることの重要性を述べています。

(以下、著書より抜粋) 

 多面的・多角的な思考を重視するなら、ヒキガエルの視点から、この読み物をどう捉えるかということを忘れるわけにはいかない。「自分がヒキガエルの立場だったら、どのような気持ちになるか」子ども達に想像してもらい、ヒキガエルの思いをすべて書き出してみてはどうだろう。どうして自分は石を投げつけられないといけないのですか。雨上がりの道ばたで、私はふつうにひと跳ねしただけです。いつも通りに自然な動きをしたに過ぎません。自分がふだん暮らしているところで、ふだん通りにピョンとひと跳ねしただけのことです。そこをたまたま通りかかったアドルフたちに、私は何か悪いことでもしたのでしょうか。

 ヒキガエルはたちまち生命の危機にさらされる。存在そのものを頭から否定されたも同然のこと。これほど理不尽なことはない。納得できることなど一点もない。「生命の尊さ」の全否定。このようなことは絶対に許されるものではない。許してはならない

(以上)

 ヒキガエルは、少年たちによる偏見によって生命の危機にさらされました。その人らしく生きることを否定されました。このように、「ヒキガエルとロバ」は、「差別」を扱った教材であると言えます。もし自分が、教室の中でそのように扱われたら・・・。考えただけで恐ろしくなります。なぜ、少年たちはヒキガエルに石を投げつけたのか。その理不尽さを考えることは、いじめ問題を考えることにもつながります。世の中に同じように理不尽な出来事はないか。それを探すことで様々な人権課題を考えるきっかけになります。

 このように、道徳科教材を使って人権教育を推進することはとても大事なことです。


《引用参考文献》

園田雅治『「つながり」を育み授業を愉しむ』(2021,解放者出版)

2022/07/28

「大人役」の演者について

 前記事に続いて、5年生教材「のりづけされた詩」での役割演技を通して、今回は「大人の演者」について考えます。

 本授業での役割演技の場面は、担任の先生と中心人物(和枝)の二名が登場します。中心人物は児童が演じました。では、担任の先生を誰が演じたらよいか。このことについて述べてみます。

 役割演技では、授業者は「監督役」になります。授業者が演者になってしまうと、どうしても誘導的な演技になってしまったり、演じている際の観客役の子供たちへの配慮ができなくなってしまいます。それでは、役割演技で大事にする「即興性」が妨げられてしまいますし、観客役の反応を授業者が把握していないので事後のリフレクティングが薄れてしまいます。

 では、本授業での担任の先生役を児童が演じればよいのか。それも厳しいと判断しました。担任の先生の思いを子供たちが想像することは難しいと判断したからです。そこで、本授業では学年の先生に参観をしてもらい、演者としての登場をお願いしました。実際に教師が先生役をしたほうが、演技場面がより現実に近づきますし、教師としての実際の反応が演者の即興性を引き出すと思ったからです。

 早川(2017)も、『子供が演じづらい役割は他の教師や授業参観の保護者に依頼するなどして、授業者は役割演技の監督としてその役割の遂行に専念することが肝要である。学習指導要領で、保護者との連携は重要視されている』と述べています。

 どうすれば子供たちが本気で演じられるか、必要に応じて授業者以外の大人が演者になることを計画してはどうでしょうか。


《引用参考文献》

早川裕隆『実感的に理解を深める!体験的な学習「役割演技」でつくる道徳授業』(2017,明治図書)

2022/07/27

役割演技で気をつけたいこと

 5年生での2回目の役割演技(教材は「のりづけされた詩」)をした時のこと。授業後に演者の児童は役割演技をした感想を書いていました。

私は「のりづけされた詩」という話で、最後の場面を演じた。演じてみた時の心が今も残っている。とても苦しかったし、焦りもした。主人公もたぶん、心が苦しくなったと思った。自分と主人公が一体化した人間になった気持ちだった。その上、こんなに苦しくなったのは今までなかったし、地面にひびが入って足場をなくしている状態みたいだった。非常にわかりやすかった。

 この感想を読み、授業者である私はハッとさせられました。演じた場面は、中心人物が担任の先生に、自分の非道徳的な行為(詩の盗作)を打ち明けるところでした。

 演者の児童は、中心人物になりきり、行為を反省し、自分ごととして葛藤しながら打ち明けました。その時の気持ちが感想の中で「こんなに苦しくなったのは今までなかった」「地面にひびが入って足場をなくしている」と綴られていました。

 果たして、この児童にそこまでの苦しさを実感させる必要があったのだろうか。授業後に悩みました。中心人物の苦しみや葛藤を実感させることは道徳科授業で大切にされていることですが、その実感が強く自分ごとになったとき、その子自身を苦しめてしまわないだろうか。そのように反省をしました。この授業のねらいは何なのか。演技をさせる目的は明確か。演者への配慮はされているのか。これらの視点を授業者が大事にしなければならないということに気づかされました。早川(2017)も、『役割演技の授業者として大切なことは、その授業のゴールを予想すること』と述べています。

 なお、本授業では、打ち明けた後の心情に焦点を当て、その時の心情が自分自身の誠実さであるという理解を促すこと、それをもとに自分の行き方を考えさせることが大事であったと、今は思っています。

 さて、上記のことは「いじめの場面を役割演技させてはいけない」ということにも共通していることを追記しておきます。安易にいじめ場面を演技させることは、いじめの増長やフラッシュバックを引き起こす可能性があるということを認識しておきたいです。


《引用参考文献》

早川裕隆『実感的に理解を深める!体験的な学習「役割演技」でつくる道徳授業』(2017,明治図書)

2022/07/26

効役割演技を取り入れた授業で授業者が意識したいこと


 役割演技では、「ウォーミングアップ」が大切になります。大きく分けると、

(1)「役割演技による学習を知る

(2)「その時間の演者をつくる

 という、二種類のウォーミングアップに分けられます。

 前者は授業の事前に行います。役割演技の意義を伝えたり、生活の中の場面で「演じること」を体験させたりします。

 後者は、授業の中の発問を通して演者になる児童を見つけ、準備させることになります。前記事でも紹介したように、子供たちが登場人物の誰の視点で思考しているのか、どれぐらい人物になりきっているのかを、授業者が観察する必要があります。そのうえで、「あなたは(人物)になって考えているのですね」と声をかけるなどして、自らの視点に気づかせていきます。こうすることで、授業の中で演者を決めていくのです。

 さて、役割演技の授業者としては、その授業のねらいを明確にすることも求められます

何のために役割演技を取り入れるのか。役割演技によってどのような理解や実感、思考(自己を見つめる)をねらいたいのか。これらのことを授業者はきちんと整理することが大事になります。


《引用参考文献》

早川裕隆『実感的に理解を深める!体験的な学習「役割演技」でつくる道徳授業』(2017,明治図書)

2022/07/25

役割演技を分析する(3)〜6年生教材「ヘレンと共に ーアニー・サリバンー」〜


前記事の授業記録「役割演技」の続き

『では、今は文字を教えている状況でしたが、その後の「water」のところにいきます。教科書の続きを読みますね。』

(範読再開)

『井戸に連れていくところからもう一度演じてもらいます。では、最後の場面のところをお願いします。』

アニー「じゃあ、井戸のところに行くね。」

(ヘレンの腕を持ち、井戸(テレビ前)に連れていく)

アニー「これは、・・・。」(静かになる。)

(しゃべりかけることなく、黙々と文字を教える)

(アニーは、なかなか反応を示さない。)

(観客も「どうしたのだろう?」となっていく)


『では、一度ストップします。◯◯さん、「水」というものに気づいているのかな?』

◯◯「はい。いきなりには気づかないと思ったので、少しずつ気づくようにしました。」

『なるほど。では、続きをお願いしてもいいですか?』

(演技再開)

(しばらくアニーが文字を書き続ける)

アニー「そう!これが「水」だよ!」

嬉しそうな表情で水という文字を書くアニー)


『では、そこまでにしましょう。みんな、アニーが突然声を出したことに気づいたかな?●●さん、やってみてどうでしたか?なぜ、突然声を出したのかな?』

●●「伝わった!と感じてうれしかったからです。」


『ヘレンはどうでしたか?』

◯◯「何度も水と書いてくれて、「わかった!」ということを早く伝えたいと思いました。」


『これで授業を終了します。演技を見た感想や、アニー・サリバンについて感じたことをノートに書きましょう』

教材の最後、ヘレンが「water」を理解する場面の演技です。ヘレン役の児童が教材の世界に入り込み、なかなか「water」という文字への理解を示さず、時間だけが過ぎていきました。アニー役の児童の不安や観客役の困惑も伝わってきました。この不安や困惑こそ、アニーが感じていた不安なのではないでしょうか。授業者として演技を中断するか悩んだ末、一度中断して確認をすることにしました(中断法)。

演技再開後、ヘレンが「water」に気づいた際のアニーの表情は、本当に嬉しそうなものでした。役割演技を取り入れたことで、この心からの笑顔と喜びを教室全体で実感することができました。ただし、時間の都合上、その後のリフレクティングの時間を授業時間内に十分確保できませんでした。そこで、道徳ノートによるふり返りで、演技の感想も書いてもらうことにしました。

2022/07/24

役割演技を分析する(2)〜6年生教材「ヘレンと共に ーアニー・サリバンー」〜


前記事の授業記録の続き

『では、〇〇さん。先ほど生きる感情を持っていると言ってくれました。ヘレン・ケラー役をやってくれますか』

(ヘレン役の演者前へ)

『ヘレン・ケラーです。今から、目を開けてはいけません。話をしてもいけません。この時のヘレンになってください。まだ、手づかみでご飯を食べている。アニーの熱意ややさしさに気づいていない。厳しくされている。この後、ウォーターと気づく場面がありますが、その前のヘレンになってください』


『●●さん。アニー・サリバン役をお願いしてもいいですか。喜びや希望をヘレンに伝えたいというアニーです』

(アニー役の演者前へ)

『今から、普段の文字を教える時間です。ヘレンはまだ文字を知らないので、何をしているのかわからない状態です。あなた(ヘレン役)はそれを想像してください。それに対してアニー役のあなたは喜びや希望を伝えたい。やさしくて厳しいアニー・サリバンです』


『では、今から演じてもらいます。皆さんには、二人の様子とか、アニー・サリバンの反応や、どのように声をかけているかを見てもらいます。ヘレンは、今から喋らないでください。不安でなければ、目を閉じておいてください。何を感じるのでしょう」

演者を選定する際は、それまでの発言や児童の視点をもとに授業者が決めます。演技までの発問や対話が選定の布石になります。本授業では、「ヘレンにも生きる感情がある」と発言した児童をヘレン役、「ヘレンにも喜びと感謝を味わわせたい」と発言した児童をアニー役に決めています。

そして、演技前に「あなたはヘレンです」のように、児童の視点を定めてあげることや、場の設定を全体で共有させることも、監督役である授業者の役目になります。ここでは、「厳しさの上の優しさ」という板書(児童の発言)も使って人物の設定をしています。


【演技、開始】

アニー「じゃあ、これを見てください。」

(ヘレンの手の平に文字を書いているが、ヘレンは反応せず。)

(ヘレンの片手を持ち、指で手の平に書いてあげる)

アニー「次はこれ(チョーク)を手に持ってください」

(手の平にチョークと書いている)

アニー「では、これを書いてみましょう」

(ヘレンの片手を持ち、手の平にチョークと書かせる)。

アニー「これは定規と言います」

(同じように繰り返していく)


『ここまでにします。まず見ていた人に聞きます。ヘレン・ケラーを見ていてどう思いましたか』

「ヘレンは、ただ寝ているだけのようで、勉強しているようには見えませんでした」

「字というものを知らないので、勉強というより、ただ手を動かす運動に見えました」

「文字を教えても、文字とはわからず、ただ真似をしているだけかと思いました」


『ありがとう。◯◯さん、どのような感じでした?』

「ヘレン・ケラーは目も耳も口も不自由で何もすることができなくて、そのように考えてみたら、●●さんがしゃべっている言葉は、普通には聞こえなくて、ただものを持って手を動かされるだけのように感じました」


『アニー・サリバン(●●さん)を見ていて、どうでしたか?』

「がんばって教えようとしていました。」

「がんばって教えようという気持ちは伝わってきたけど、それが届かなくて、悲し・・・くはないけど、伝わらないと分かっていても何回も教えていて、いいなぁと思いました」

「すぐに伝わることではないけれど、それでも何回もやって、字をヘレン・ケラーに教えたいということが伝わりました」


『●●さん、実際にやってみてどうでした?』

●●「話しかけても聞こえてないし、私がヘレンに「これが〜だよ」と教えていても、ヘレンには聞こえていないので、本当に分かってくれているかが分からず、ちょっと不安もありました。」

本授業では、範読に沿って2回の役割演技を行っています。1回目が、アニーがヘレンに辛抱強く文字を教えようとしている場面です。さて、役割演技で大事にしたいことは上手に演じさせることではなく、演技を見ている観客役の児童がどのような感想を抱いたかを共有することです。また、その感想を聞いた監督(授業者)と演者の対話を観察させることで、自らが抱いた感想を再度ふり返させることも大切になります。演技後の「リフレクティング」がとても重要だということです。この場面でも、演技後はまず観客役の児童の感想を聞いています。

2022/07/23

役割演技を取り入れた授業を分析する〜「ヘレンと共に ーアニー・サリバンー」〜


 役割演技を取り入れた道徳科授業を紹介します。教材は、日本文教出版6年生「ヘレンと共に ーアニー・サリバンー」です。

 まずは、実際の授業の展開を紹介します。家庭学習で教材を読んできてからの授業になります。

【発問①】「教材を読んだ感想を隣の人に伝えましょう」(ペアトーク後、発表)

「ヘレンが大学まで行けたのは、アニーとの強い絆があったからだと思いました」

「アニーも同じ経験をしているので、ヘレンのことを分かっているということが伝わってきました。」

「ヘレンは、最初はわがままだったけど、アニーの厳しさの上の優しさのおかげで、できることが増えました。アニーはすごいと思いました」

「くじけずに最後までやり遂げたヘレンがすごいです」

「アニーはすごく心がしっかりとしている人だと思いました。なぜなら、ヘレンに朝食のしつけを長い時間をかけてしっかりと教えてあげたし、周りの人が「教え方が厳しい!」と言っても、あきらめずにやったからです」

「アニーは生まれつき目が不自由で、治療をして目は良くなりました。ヘレンは目と耳と口が不自由で、普通の人はヘレンと接しないかもしれないけれど、アニーはヘレンを最後まで育てていて、ヘレンとの関係がどんどん深くなっていきました」

ここで大切にしたかったことは、子供たちがヘレンの視点で教材の世界に入っているのか、アニーの視点で入っているのかを確認することでした。実際、自由に感想を伝えさせると、教材に入る視点に異なりがあることが分かりました。この「視点の異なり」を役割演技の演者選定に生かします。


【発問②】「一生懸命勉強をしている時、アニー・サリバンはどのようなことを思っていましたか」

「自分が助けられて勇気がついたから、目の不自由な人にも勇気をつけてあげたい。」

「自分も助けられたから、恩返しとして他の人を助けてあげたい。」

「大きくなったら、目の不自由な人のために役立ちたい。」

「でも、それなら普通は自分の好きなことをしたくなります。」

『みんなはどう?目が治ったら、自分の好きなことをしようと思うのが、ふつう?』

「目が見えるようになったら、綺麗な景色とかを私なら見たいです。」

『アニーはどう思ったのかな。「勇気をつけたい」や「恩返しをしたい」か、「自分の好きなことをしたい」か、どちらかな。』

「アニー・サリバンは、不自由な人を勇気づけたいと思っていたと思います。けど、僕なら自分のしたいことを選ぶと思います。」

「アニーがしたいことは人の役に立つことなので、どちらも一緒だと思います。」

『人に役立つことや恩返ししたいということが、自分のやりたいことではないかということですね』

教材の前半を範読してからの場面発問です。役割演技を効果的に行うためには、演技の場面までの場面発問などで人物の葛藤や不安、喜びを自分のこととして捉えさせることが必要になります。この場面では、アニーの思いを自分ごととして捉えさせることをねらいました。ある児童から「目が見えるようになったら、ふつうは自分の好きなことをしたくなります」という意見が出たので、その意見に問い返しをすることで、人間の弱さの理解をねらいました。


【発問③】「アニーがヘレンの家庭教師を引き受ける時、不安はあったのかな?あったと思う?なかったと思う?パーセントで表すと、どれぐらいかな?」

 ・不安は全くなかった →2人

 ・不安しかなかった  →7人

 ・真ん中(50%)  →14人

 ・不安が25%    →2人

 ・不安が75%    →4人

『どんな不安があったか。なぜ不安がなかったのか。お隣に伝えましょう。』

「目も耳も口も不自由な人にどう教えたらいいのかわからない不安です」

「勉強してきた手話や点字、読心術が使えないかもしれないという不安です」

「完全にダメになったわけではないと思う」

『なぜ?』

「勉強したことは使えないとしても、自分の考えを役立てることはできるし、勉強は必ず無駄にはなっていないと思います。」

『では、不安がないという人。なんで不安がないのかな?』

「アニーはスプーンを1〜2時間持たせようとできる人なので、それぐらいすごく強い思いを持っているので不安はないと思います。」

「自分がヘレンの家庭教師になると決めたのは、恩返しをしたかったり役立ちたかったりする思いが強いからです」

『はじめてのことでわからないし、不安はあったかもしれない。今まで勉強したことが通じないかもしれない。でも、強い思いを持っているから家庭教師を引き受けたのでしょうね。』

範読を途中で区切っての発問です。アニーの不安と、それを乗り越える強い意思や願いに気づかせることをねらっています。


【発問④  】なぜアニーはここまで厳しくしたのかな?

「ずっとやさしくしていたら、いつまでたっても変化がないからです。厳しくしたらちょっとかわいそうだけれど、ヘレンのためにしたのだと思います」

「ヘレンに厳しくしないと分かってもらえないからです」

『不自由な人の役に立つことがアニーの願いでした。では、

 ①自分の願いを叶えたかった。

 ②ヘレンが将来困らないため。

 ③我慢や努力をヘレンに感じさせてあげたかった。

 ④その他

この中で選ぶとしたら、どれを選びますか?近くの人に言ってみましょう』

「私はその他です。アニーも目が不自由になった経験があり、ヘレンも目が不自由で同じ経験をしているので、治してあげたいからです。」

その他です。アニー・サリバンの目が治った時に、喜びと感謝の気持ちを抱いたので、ヘレンにもその気持ちを味わわせてあげたいと思ったからです。

「私は3番だと思います。ヘレンが大きくなって学校に行ったとしたら、我慢や努力を知らないと一層我儘になって困ると思うからです」

「アニーは不自由な人たちに勇気をつけてあげたいと思っているから、自分の夢を叶えたいと思っているのだと思います。だから、自分の願いのためという一番には、2番や3番、4番が入っていると思います」

『②③④の全てが一番に入っているのではないかということですね』

ここも範読を区切っての発問です。アニーの厳しさを理解させることで、発問③と同様にアニーの強い思いに気づかせることをねらいました。ある児童の発言で「喜びと感謝の気持ちを味わわせたい」というものがありました。この児童は、アニーの視点になって考えていると判断し、この時点でアニー役の演者に指名することを決めました。


【発問⑤】ヘレンは、この厳しさを求めていたのかな?ヘレンが望んでいないのなら、ここまで厳しくする必要はなかったのでは?

「いえ、望んでいます。なぜなら、いくら光が見えなくたって、いくら音が聞こえなくたって、いくら言葉をしゃべれなかったとしても、ヘレンにも治る確率があるし、生きる感情だってあるのだから、そういう感情を考えながらアニーは寄り添っていたと思います。

『◯◯さんの言葉で「生きる感情」という言葉がありましたね。それがヘレンにもあるのではないか。この◯◯さんの意見、どうですか?』

「望んでいたというより、文字も何もないということは考えられないということなので、どうやって望んでいたのかな」

『ヘレンは言葉を使えません。でも、生きる感情は持っているのではないか。言葉はなくても、感情が頭の中をぐるぐる回っているのではないか。そういうことでしょうか』

ここまでが役割演技に入るまでの展開です。「生きる感情がある」と発言した児童はヘレンの心情に強く共感していると判断し、演者に選定しました。この後、いよいよ演技に入ります。