岩手大学の佐々木哲哉は、中学校道徳科の教材『卒業文集最後の二行』を、自らの過ちや失敗経験を赤裸々に告白する「告白もの教材」と呼んでいます。
『卒業文集最後の二行』は、いじめ問題を扱った教材です。佐々木は、自らが現職の頃、教材の意味や告白の本意がきちんと理解されないまま道徳の授業が行われていると疑問を感じることも少なくなかったと述べています。
さて、佐々木は、告白もの教材の特質を以下のようにまとめています。
(以下、引用参考文献を参照)
【「創作もの教材」との違い】
「告白もの教材」は、あらかじめ道徳教材として作られていないので、発問や展開を想定しにくい。また、回想によりその時の誤った行動や心情を深く見つめて厳しく自分を責める表現が見られる。こうした表現は他の教材では見られない。
【「告白もの教材」に対する誤解や偏見】
「告白もの教材」は、過去の過ちや失敗を赤裸々に表明しているだけに、筆者はよくない行為をした人といった見方をされ、心情や判断力が欠如した人物として判断されやすい。それゆえ、反面教師的な取り上げ方など、本来の生かし方ではない、全く違った形での指導が行われやすい傾向がある。
(以上)
「反面教師的な取り上げ方など、本来の生かし方ではない指導」という論に、私はハッとさせられました。佐々木氏が提唱する「告白もの教材」において、告白者を非難することは簡単です。しかし、その非難から何が生まれるのでしょうか。過ちを犯した者は無条件に非難してもよいという心を育ててしまうだけだと、この論を読んで思いました。
《引用参考文献》
日本道徳教育学会第99回大会(令和4年度春季大会)プログラム・発表要旨集