先述した「自ら考える」ということについての山田勉の論を紹介します。
(以下、著書『教える授業から育てる授業へ』より一部抜粋)
自らがある状態に追い込まれたということは、それ以前の考えではその状態を脱出できないことを示している。そこで新しい考えを生み出してはその状態を切り抜けるのであるが、その新しい考えとそれ以前の考えとは、質的な違いが生じる。これを連続したものとみれば、前の考えのどこかを変えたり、新しい考えを付け加えたりしているのであって、いってみれば否定を媒介にした連続ということになる。連続していないとみる場合にも、前の考えでは通用しないことを自覚した新しい考えを生み出すのであるから、やはり一度は否定ということが行われているとみるべきであろう。
(中略)
そこで、わたしは、自ら考えるということは、結局、それまでの自分の考えを自覚し、新しい問題事態に対して考えを新しく立て直して解決に当たることであると考えたい。要するに、自覚的自己否定的思考の過程を進行することを、自ら考えることだとしたいのである。
(以上)
この「自覚的自己否定的思考の過程」という論をもとに、山田氏は「自ら考える」ための要件を三つ述べています。
要件①自分で考えることの目的をもつこと
目的がなければ、「自ら」ということはあり得ない。
要件②自分で考え方を見出していくこと
問題解決の方法を他者から指示されるのでは自ら考えるとはいえない。その問題解決の方法を、過去の経験を生かしたり、新しい知識を獲得したり、資料を分析したりという、多様な操作を通して自分で見出していくことがどうしても必要である。
要件③自分で考えたことを評価し、さらに発展していくこと
問題を解決していく考えは、次に新しい問題状況を生み出していかなければならない。その新しい状況に対応する形で、考えはさらに発展するのである。
《引用参考文献》
山田勉著『教える授業から育てる授業へ』(黎明書房,1987)
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