児童生徒の「問題意識」について、山田勉は以下のように述べています。
(以下、著書より抜粋)
先生たちの研究会に参加すると、「わたしのクラスの子どもは問題意識がなくて困ります。どうしたらよいのでしょうか。」と聞かれることが多い。問題意識があれば、授業も活発になるし、教師の指示をまたないでも、自ら考え学習する子どもになると考えるから、このような質問が多くなるのであろう。この判断は確かに正しい。しかし、問題意識をもって学習にあたるような子どもにするためには、特効薬的な方法があるわけではない。もしあるとすれば、わたしたちにその方法を尋ねる教師の考え方や態度を改めることが唯一の方法ではないかと思う。尋ねるとすれば、今、問題意識がないとぼやく子どもしかいないというべきであろう。彼らには問題意識がないわけではなく、問題意識をもっても教師に認めてもらえなかったり、ひどいときには拒否されたりするので、むしろ、あえて問題意識のない状態を維持しようとしていると考えるべきである。だから、その気持ちを子どもに素直に述べてもらい、教えてもらうことこそ、問題意識をもつ子どもにする方法を発見する最善の道である。
(以上)
山田勉氏は強烈なメッセージを私たちに送っています。このことは、授業の中での問題意識に対しても、生活の中での問題意識に対しても、どちらにも共通していることだと言えるでしょう。
道徳科授業においても、子供たちは教材と出会うことで様々な感情をもちます。行為への違和感であったり、怒りであったりもします。その瞬間、子供たちは問題意識を確かにもっているのです。しかし、教師の口から発せられるのは「誰が出てきましたか?」など、人物や場面状況の確認です。また、その後の発問も教師から発せられます。子ども達のもつ問題意識を伝える場面がないまま授業が進んでいくのです。時に、教師の発問に対して適さない発言をすると、「今はそのことは尋ねていないよ」と、話を切られることもあります。そこに子供たちの問題意識を入れ込む余地はありません。
「主体的な学び」を求めるには、子供たちの問題意識は必要です。そのために、私たちは子供たちの思いをもっと受け止める必要があるのではないでしょうか。問題意識をきちんと受け止めてもらえることで、子供たちは自己(学級)の課題をみつけられるようになるのです。
《引用参考文献》
山田勉著『教える授業から育てる授業へ』(黎明書房,1987)
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