2022/01/12

確かな価値認識(2)


 村上氏は「単純な価値経験が、たしかな価値認識に到達する過程には、知的な思考による反省が加えられなければならない。一応はよい・正しいと思われたことが、かならずしもよくない、もっとよい・正しいことのあることを知って、さきの価値認識の評価が行なわれなければならない。さきの価値経験に対する自己評価である。」と述べています。

 では、価値に対する自己評価、すなわち反省的評価が可能になる条件はどのようなものなのでしょう。このことに関して、3つの条件を村上氏は挙げています。

【条件① 前後の価値経験の比較照合】

 生活は無限に連続していくものなので、断面において抽出された価値経験は、次の段階における価値経験との比較対象によって具体的に評価されるべきである。前後の価値経験の比較照合によって、「ほんとうによかった」「やはりよかった」とあらためて評価されたり判断が是正されたりすることもある。

【条件② 自己と他者の価値経験の比較照合】

 他人の価値経験についての見聞を通して、自己の限られた経験の範囲での価値判断の主観性・独善性を見つめることができる。一斉学習の形態をとる道徳時間の指導における価値経験についての話し合い活動は、それを可能にする最も有効な場である。

【条件③ 自己を鮮明に写し出す教材】

 道徳指導に活用される資料(教材)は、自己の生活経験からはただちには現れてこない価値的世界を提供する。それは他者によって実現された価値的世界ではあるが、それこそが自己を見つめるための鏡となる。自己反省・自己認識といっても、人間は自己の眼で直接に自己を見ることはできない。自己をぶつけてこだまとしての自己をよびもどす鏡が必要であり、それが道徳科授業における「教材」となる。単純で限られた価値経験のもっている抽象性や主観性は、教材が提供する価値的世界の具象性と構造性によって、自らにひきもどされ脈絡づけられて、ここで自己の価値経験の真価がためされることになる。これがもっとも具体的できびしい自己評価の機会となる。


《引用参考文献》

村上敏治著『道徳教育の構造』(明治図書,1973)

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