2022/01/26

償い


 1月22日(土)、道徳科の自主研修会「AtoZ道徳授業学習会」(主催:岐阜聖徳学園大学 山田貞二先生)が開催されました。この日のテーマは「音楽と道徳」。さだまさしの『償い』(教育出版)の教材分析及び模擬授業が実施されました。

 オンラインでの開催でしたが、チャット機能が活用され、全国の先生方の意見が次々に書き込まれていきました。以下は、チャットでの意見交流の一例です。


【ゆうちゃんの視点】

・ゆうちゃんはお金を送ることで、ここまで生きてこられたのかもしれない。

・ゆうちゃんの誠実な人柄に心打たれた。このような人にこそ幸せであってほしい。

・自己満足だとわかっていても送金を続けることを選ぶしかないゆうちゃんが哀しい。

・ゆるしてほしいとは思っていない。償いきれないと自分でもわかっているから。

・ゆうちゃんは許してほしいとは思っていないと思う。自分が生きていること自体が許せない。でも生きている。なんとか生きるためにお金を送っているのではないか。

・手紙をもらって泣いたのは、罪を許されたのではなく、自分という存在が生きていることを許されたと感じられたから。

【奥さんの視点】

・残された人が幸せになるにはどうしたらいいのか。

・奥さんが前を向いて歩もうと決意しなければ、ずっと引きずってしまって奥さん自身の人生がつぶれてしまう。ゆうちゃんからの仕送りを断つことで、新たに歩みを進めようとしたのではないか。

・被害者の奥さんは、7年間の間どんな思いで生きてきて、あの手紙をどんな気持ちで書いたのだろう。

・7年間の送金を見た時、自分の人生は幸せなのかな。許せないという思いにとらわれている人生ってどうなのかなと思ったから。

・心から許すことはできないが、前を向いて歩き出したい。7年間の葛藤をこえて。

・(自分なら手紙を書かない、許せないけれど)加害者の誠意は感じる。

【授業づくりの視点】

・「人間って哀しいね」とはどういうことだろう。

・過ちを犯した人間、犯された人間はよりよく生きることは許されないのだろうか。

・「生きていく喜びとは」とあるが、ゆうちゃんに喜びがあるのか。

・ゆうちゃんに生きる喜びを持たせるのはいいのか、悪いのか。それを考える。

・そもそも許すか許されないかという視点で子供達は考えるだろうか。 


 『償い』という教材(歌)について、本当に様々な視点・立場で意見交流がされました。このような素材研究での意見交流は校内の研修でも可能ではないかと思っています。研究授業の際、誰かが代表で指導案を作成し、その指導案についての検討をする場合が多いと思います。そうではなく、まずは素材研究をみんなで行うことが大切であるということを、この研究会は教えてくれているように思っています。ベテランの先生も若手の先生も同じ立場で意見を伝え合う。できる限り様々な視点での意見を出し合うことで、自然と学習のねらいや展開、発問が見えてくるものです

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