書籍から考える(1)有田和正氏
道徳科授業に関する書籍を紹介していこうと思います。第1回目となる今回は、有田和正氏の書籍『「追求の鬼」を育てるシリーズ2 有田学級の「道徳」の授業』(明治図書 1993)です。私が持っている有田氏の著書の中で、道徳授業について著したものはこの一冊だけです。それゆえ、大変心に残っている一冊となっています。
さて、この本を手に持ち、ページを一枚めくるだけで、有田氏の授業観に引き込まれます。心ゆさぶられる前書きから始まるのです。前書きで、有田氏は道徳授業に対しての『?』を述べています。
(以下、抜粋)
どんな道徳授業がよいのか。どういうことをするのが「道徳」の授業なのか。面白い「道徳」授業というのは、どういうもので、本当に価値があるのか。
(以上)
まさに、「特別の教科 道徳」になった現在でも課題となっている「道徳科授業の必要性」について、問題提起をしています。
そのうえで、有田氏は「道徳とは、事実を検討することなのだ」ということの気づきから、「事実」=「現実的な課題や身近な問題」として授業実践を重ねていきます。
これは、教材を通して考える「特別の教科 道徳」として考えると、教材に込められた道徳的課題(道徳的価値の理解)についての善悪を検討することを通して、よりよく生きるための道徳性を育むというねらいに合致したものであると考えられます。そうであれば、教材(道徳的課題)と子ども達との出会いをどのように演出するのか、そもそも、その教材にどのような魅力があるのか、もっと考えていくべきなのだと思います。
また、有田氏は書籍の中でこのようにも述べています
(以下、抜粋)
「道徳」に限らず、どの教科でも、子どもの発言の自由が保証されていなければ、授業は失敗する。教師が、子どもの発言の自由を保障し、ふだんから何でもいえる雰囲気を作っているならば、子どもの発言はおもしろいものになってくる。教師の都合の悪い結論だって平気で出す。この時、子どもたちが生き生きしていることはいうまでもない。教師の顔色など気にしていない。本当の自分たちの考えを出しているのである。(中略)本当に解放され、真理の探究に燃えているクラスであれば、教師の考えを参考にしながら考えるけれども、それになびいたりしない。教師に都合の悪い結論を出すようになったとき、
A 何とできの悪い子どもたちか。
B うん、子どもが育ってきたな。
のどちらかを思うかで、教師の価値が決まってくる。同時に、道徳授業の質も決まってくる。Bの方を思う幅の広い教師になりたいし、こうならない限り「道徳」の授業は成功しない。
(以上)
まさに、道徳の授業そのもの、いえ、現在の授業づくりの課題を突きつけられたように感じます。いかがでしょう。「教師に都合の悪い結論を出すようになった」という状況の時、教師は「よしよし、楽しくなってきたぞ」と考えられるでしょうか。教師の導きたい発言を求めて授業づくりに取り組んでいないでしょうか。
もちろん、「都合の悪い結論」のみをゴールにするわけではありません。議論の着火点とするのです。子ども達の発言を予想して、それに対する問い返しを用意しておきます。そうすることで視点を広げさせ、学びを深めていくのです。しかし、教師の想定を超える発言を子ども達は出してくることがあります。そこに、教師と子ども達の本当の対話が生まれるのです。
道徳は明確な答えがないので、子ども達と対話をするとしたら教師には相当の準備が必要となります。それゆえ、有田氏の教えは、その時間と覚悟を教師に求めているのだと思っています。
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