発問は鬼ごっこ?
前日に続き、道徳授業での子どもの発言について考えていきます。
突然ですが、「走り方」の練習をする場面を想像してください。「たくさん走らせる」という熱血な練習方法では、「走る」=「苦しくていやなこと」という意識を育ててしまう恐れがあります。では、どのような練習計画を立てましょうか。正しいフォームを、基礎からコツコツと教えますか。
もちろん、コツコツと地道な努力を重ねさせることは大切です。しかし、低学年の児童を想定した場合、または、発言することにすでに拒否感を抱いている場合、その指導方法では逆効果になるかもしれません。大切なことは、「楽しそう!」というイメージを持たせることです。「がんばって走りましょう」というより、「みんなで鬼ごっこしよう」と伝える方が、きっと子ども達は「やったー!」となるでしょう。鬼ごっこを通して、楽しく「走る」という活動に取り組むことができます。そうして、自然と走り方を身につけたいという意欲も高めていきます。
この「走る」という場面を、道徳の授業に置き換えてみます。「速く走る」というねらいが、「よりよい道徳性を身につける」というねらいとなります。子どもの意欲を高めるための活動が「鬼ごっこ」なのに対して、道徳の授業では「発問」を通して子どもの思考意欲を高めることになります。発問を工夫することで、「考えたい」「伝えたい」を生むのです。
さて、「発問」を工夫する際に大切にしたいキーワードは、「思考のずれ」です。
例えば、以下のようなずれを起こすと、子ども達の「考えたい」という意欲が生まれます。
(1)導入とのずれ
(2)経験とのずれ
(3)他者(友達)の発言とのずれ
(4)既習の道徳的価値の理解とのずれ
(5)複数の道徳的価値の対立によるずれ
(6)理想とする行動と自分の弱さとのずれ
このような「思考のずれ」を生む発問を、「広げる発問」と呼ぶことができます。発問を通して議論の視点を広げるのです。従来の道徳授業では、一つの発問に対して答えが一つになるような場合が多かったように思います。よく言えば、分かりやすい。悪く言えば、教師のレールに乗った授業です。レールから外れた意見は「よくない意見」と捉えられることが多く、そのような発言を出さないための発問研究もされていたように思います。
しかし、大切にしたいことは、子ども達の「考えたい」「伝えたい」を生むことです。その場合、上記の「広げる発問」を教師が発することが効果的です。
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