多面的・多角的って、なに?
今日、「道徳教育と特別の教科 道徳」についてお話する機会を頂戴しました。「道徳科授業の魅力を感じてほしい」という課題を自分で設定し、精一杯お伝えしてきました。結果・・・、「伝える」ということはやはり難しいものです。いつも感じることですが、まだまだ自分の言葉には力がないと反省させられるばかりです。
さて、休憩の際に「多面的・多角的」という言葉について質問を受けました。社会科の「多面的・多角的」という概念と道徳科の「多面的・多角的」の概念が一致しないので困惑しているということでした。質問を受けると、受けた側にとって大きな学びが生まれます。自分の頭の中の曖昧な部分を明確にさせようと、「点」である知識を「線」や「面」としてつなげられるよう必死で考える機会になるからです。
ここで、「多面的・多角的」という概念について書かれたものを紹介します。
まず、帝京大学大学院教授の赤堀博行氏は、著書『特別の教科 道徳」で大切なこと』(東洋館出版 2017)の中で、「多面的・多角的」をこのように述べています。
【多面的】
例えば、ある植物を正面から見たときには、緑がきれいとしか見えませんでしたが、違った側面から見たら、蕾が付いていることに気づいた。また、違った側面からみたら蝶が止まっていたなど、様々な見え方をするといったことです。例えば親切に関わる行為についてでは、親切を様々な面から考察し、親切についての理解を深められるような多面的に考えることが大切なのです。
【多角的】
一定の道徳的価値について考えていく中で、異なる道徳的価値との関わりに気づくことも少なくありません。中心となる道徳的価値から周囲を考察するといろいろな物が見えてくる。つまり、一定の道徳的価値から関連する他の道徳的価値に広がりを持たせて考えるようにする多角的な理解も必要なのです。
また、立命館大学教授の荒木寿友氏も、『ゼロから学べる道徳科授業づくり』(明治図書 2017)の中で多面的・多角的に述べています。
【多面的】
一つの側面ではなく様々な側面から事象を捉えてみるということです。上からみたら円形だけど、側面から見たら長方形で、斜め側面から見たら円柱、そういったものの見方が多面的な見方です。道徳的価値に当てはめれば、平和という価値について日本人が考える平和もあれば、中東の人が捉える平和もあり、難民の方にとっての平和もあります。平和を様々な側面から捉えること、これが多面的に価値を考えるという意味です。
【多角的】
一つの点から多方向に線が出ているような状態です。一つの企業がさまざまな分野の仕事を経営していくことを多角経営っていいますよね。つまり、ある事象について自分自身の見方を多様にしていくことを意味します。
表現方法は異なりますが、両氏の説明に共通することは、多面的は内側(行動の背景や立場の違い等)に視点を向けるということであり、多角的は外側(他の道徳的価値とのつながり)に視点を向けていることかもしれません。
また、武庫川大学教授の押谷由夫氏も、『道徳教育』明治図書(2020年5月号)の中で多面的・多角的な考えを引き出す授業というテーマでこのように述べています。
(以下、一部抜粋)
中心場面において、どのように「多面的・多角的な考え」を引き出すか。ここが、道徳の授業の大きなポイントです。(中略)ここで提案したいのが、思考軸の視点移動です。大きくは、対称軸、時間軸、条件軸、本質軸の四つです。
(以上)
押谷氏は、「多面的・多角的」という概念を、特別の教科 道徳の中では一つのものとして捉えているように感じられます。学習指導要領の改定の際、「多面的・多角的」という用語について盛んに議論がされました。「小学校で可能なのか」「社会科と用語の使われ方が異なっている」などの意見がよく聞こえてきました。
現状、押谷氏の「思考軸の視点移動」に代表されるような、「様々な視点や立場、内容項目を考慮して思考すること」という認識に収まっているように感じています。中心発問や補助発問を考える際にも、この「多面的・多角的」という概念を大切にしていきたいものです。
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