『自分を物語る道徳授業』(1)
1 「聞いてほしい」が生まれる瞬間
自然教室最終日、キャンプファイヤー。思い出を語りながら、こぼれる涙。何とも感動的な場面です。「感動」には、未来に目を向けさせるという思考転換の効果があるとされています。しかし、ここではこの光景を「感動」とは異なる視点で分析してみます。
なぜ、本音で「語りたい」となるのでしょう。キャンプファイヤーの幻想的な雰囲気の効果もあるかもしれませんが、それだけではないはずです。
この時の「自分を語る」という行為は、最終日までの「過去」の出来事を、「現在」の自分が抱いている希望や願いで紡ぎ直し、明日からの「未来」に役立つよう意味付けているのです。
オーストリアの精神科医ヴィクトール・E・フランクルが「人間は意味を求める存在である」と述べていますが、キャンプファイヤーでの子ども達も、友だちと寝食を共にした日々の「意味」を求め、言語という手法を活用して価値を紡いでいるのかもしれません。
2 物語り(ナラティブ)と道徳授業
自分の言葉で過去を語ること、これを「物語る」と呼びます。心理学では「ナラティブする」という行為になります。心理学者の森岡正芳氏が著書『ナラティブと心理療法」の中で、「人は自分で自分を作り直せる。それは、物語るという行為を通して叶えられる。」と述べているように、自分を物語ることで、過去と現在をつなぐことができるようになるのです。言い換えると、過去の「出来事」は変えられなくても、「出来事の意味」は変えられるということです。
このことを道徳の授業での「ふり返る」という学習活動につなげて考えてみます。終末の活動でよく取り組まれる「ふり返る」という活動。他教科であれば、学習内容を整理することで新たな知識を得たり疑問を生んだりすることにつなげます。しかし、道徳の授業ではどうでしょうか。「ふり返る」という活動が形骸化し表面上の言葉のやり取りに終始していないでしょうか。
森岡正芳氏は著書の中で、「大切なことは出来事の内容そのものに焦点を当てるのではなく、語りを通じて今ここで立ち現れてくる意味に焦点を当てることである。語り手がその言葉を通じてどのような意味を伝えようとしているのか。どのような世界を形成しようとしているのか。そこに集中する。」とも述べています。道徳の授業においても、子ども達が本音で語る姿から教師がその語りの「意味」を見出し、新たな未来につなげさせようとすることが大切だといえます。
3 物語り(ナラティブ)が生む教育的効果
どのような出来事も、未来に生じる出来事との関係において意味が変わります。過去を他者に語る過程で出来事の「意味」を見つけ、過去の感情を塗り変える。それゆえ、「物語る」という行為そのものが治療的であるといえるでしょう。
例えば、「感動・畏敬の念」や「よりよく生きる喜び」などの情的な内容項目を扱う授業では、この「物語る」という活動を通して自分の過去の出来事の意味を見つけさせることを大切にしてはどうでしょうか。語れなかった(語りたかった)物語を教材を通して表出させ、その物語に意味を持たせることで新たな自分を見つけさせる。このことが心理学での「治療」にもあたります。
道徳の授業でも、時に涙が流れる場面があります。教師はその出来事だけに目を向けるのではなく、その出来事に込められた「意味」を理解しようとすること、そして、子どもの未来の変容に気づいてあげようとすることを大切にしていきたいですね。
〈参考〉『ナラティブと心理療法』森岡正芳 2008 金剛出版