2022/11/27

令和の道徳科授業(7)〜個別最適な学びと協働的な学び〜


 奈須氏は、「独自学習と相互学習の往還」について以下のように述べています。

(以下、著書より抜粋)

 深く真剣な独自学習により、自分としては一定の結論を得て、もうこれ以上は考えられないという地点にまでたどり着いた時、子どもは同じく懸命に独自学習に取り組んでいる他者の考えを聞きたくなります。この段階で相互学習を設定すれば、仲間の考えに真剣に耳を傾け、自身の学びとのすり合わせの中で生じた感想や疑問を率直に語り合う、すぐれて互恵性の高い学びが生じるでしょう。それゆえ、同校では相互学習による授業を、通常の「話し合い」でなかく「聞き合い」の授業と呼び習わしてきました。

 仲間の考えを聞き、自分の考えも聞いてもらい、また、それらについてのお尋ねや応答、そこで見えてきた問いを巡っての議論なども活発になされる中で、もちろん、子どもたち全員が納得し、決着のつく事柄も数多くあるでしょう。しかし、むしろ大切なのは、先の独自学習では気付けていなかった点、あらためて調べたり考え直したりすべき事柄が明らかになってくることです。

 さらに興味深いのは、残された課題や追加で検討すべき事項には、全員に共通するものも一定程度ありますが、多くは一人ひとりに固有なものであったり、少なくとも重みや焦点が微妙に違ったりしていることでしょう。一般的な授業の終盤で見られるような「今日の授業でこのことがわかりました」といった平板で画一的なまとめで一件落着になるような他人ごとの浅い学びとは正反対の位置に、奈良の学習法は碇をおろしているのです。

 だからこそ、相互学習が一段落すると、子どもたちは再度の独自学習へと向かっていきます。仲間との「聞き合い」でわかったこと、考えたこと、疑問に思ったこと、課題として残ったことなどを各自で整理し、もう一度「孤独の味」の世界に没入して、何より自分に対し誠実に、さらなる学びを深めていくのです。

(以上)

 前日の記事で「複数時間扱いの内容項目の一時間を「独自学習」として取り組んでみてはどうか」ということを提案しましたが、現在の道徳科授業は圧倒的に「独りで考える」という時間が足りていないということに改めて感じさせられる記述です。


《引用参考文献》

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)

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