奈須氏は、「個別最適な学びと協働的な学びの往還を原理とした授業づくり」について以下のように述べています。
(以下、著書より抜粋)
実は、奈良女附小のように、特に学習法とか独自学習といったことを明確に打ち出してはいない学校でも、協働的な学びに先立ち、一人ひとりが個別的な学びを存分に深められるような機会を保障している学校や教師は少なくありません。
それどころか、かつての社会科では、授業と授業の間に、子どもたちが自主的に家庭で考えをまとめてきたり、地域の人から聞き取り調査をしたりすることを暗黙の前提として授業を構想・実施していましたし、子どもたちもそのように学んでいました。
個別最適な学びと協働的な学びの往還を原理とした授業づくりは、けっして新しいものでも珍しいものでもありません。もちろん、大正期にそのことを看破していた木下や奈良女附小はさすがだと思いますが、私たちが感心し是非ともやってみたいと願うような授業は、必ずと言っていいほど個別最適な学びをその構成要素として含み込んでいたのです。
(以上)
令和の時代に求められている「個別最適な学び」は、決して新しく何かを始めるのではないという著者のメッセージを受け取ることができます。
さて、道徳科授業は「45分(50分)で完結させるもの」という考え方が当たり前にあるように感じています。しかし、道徳教育は学校生活の全ての場面で行うべきものだという前提から考えると、かつての社会科と同じように、授業と授業の間に自主的に考えたり調べたりすることを子供たちに意識づけすることも大事になるのではないでしょうか。道徳科授業においても、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を往還させるということです。そうすることで、より広く、より深く考え議論する道徳科授業が生まれるのではないかと、私は思っています。
《引用参考文献》
奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)