2022/04/21

構成的グループエンカウンターと道徳教育


 道徳科授業における体験的な活動の一つとして実践されている「構成的グループエンカウンター」。道徳的諸価値の理解や実感を促す手立てとして、学習活動に様々なエクササイズを取り入れている方が多いかもしれません。

 ここで、「構成的グループエンカウンター」の言葉の意味を調べてみましょう。それぞれの言葉の意味はこのようになります。


「構成的」=「枠を与える」

「グループ」=「小集団」

「エンカウンター」=「出会い、めぐりあい」


 与えられる「枠」を道徳科の教材や発問として捉えてよいのなら、「グループ」は学級集団や隣ペアになります。そして、子供たちは教材や発問を通して他者と対話し、新たな自分に出会います。そう考えると、道徳科授業そのものが、子供たちにとって道徳教育における構成的グループエンカウンターのエクササイズになり得るのではないでしょうか。

 道徳科授業の在り方の一つとして、私は構成的グループエンカウンターをもっと調べていきたいと思っています。


《参考引用文献》

貝塚茂樹『道徳教育を学ぶための重要項目100』(2016,教育出版)

2022/04/20

内観法


 構成的グループエンカウンターのエクササイズの一つとして「内観法」があります。吉本伊信(1916-1988)が、身調べという浄土真宗の一派に伝わる精神修養法をもとに考案した、自己の内面を観察する方法です。

 「内観法」では、例えば、身近な人に対する自分の行動を、具体的なエピソードを思い出しつつ、三つの観点「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」から見直していきます。

 さて、道徳科授業では「自己をふり返り、生き方を考える」ことを重視します。どのようにふり返るのか、どのように生き方を考えるのか、そのための発問や展開を考える際に「内観法」というエクササイズがヒントになるのではないでしょうか。


《参考引用文献》

貝塚茂樹『道徳教育を学ぶための重要項目100』(2016,教育出版)

國分康孝・國分久子編『構成的グループエンカウンター辞典』(2004,図書文化)

2022/04/19

構成的グループエンカウンター


 学習指導要領解説に「道徳的行為に関する体験的な学習等を適切に取り入れる」という記述があります。これは、様々な体験活動を自由に取り入れてよいということではなく、考えるべき道徳的諸価値の理解に体験的な活動が効果的であると想定される場合に取り入れるという認識になります。

 さて、「体験的な学習」の一つとして、「構成的グループエンカウンター」という手法があります。カウンセリングの主要理論を土台として、國分康孝・久子夫妻が開発した手法であり、 グループを活用したカウンセリングとしての位置付けになります。その特徴は、人間関係構築を通しての自己発見や他者理解をねらうという手法になります(エンカウンターとは、もともと「出会い」「めぐりあい」を意味します)。

 さて、構成的グループエンカウンターの「構成的」とは、「枠を与える」という意味であり、「グループサイズ」や「時間制限」、「条件」など、指定された枠内においてエクササイズを遂行することを意味しています。

 その理由として、例えば、「何でもよいから話してください」という漠然とした指示よりも、「自分が好きな◯◯について一分間話してください」という枠を与える方が、それが手引きとなって自由な言動を誘発することができるからです。


《参考引用文献》 

貝塚茂樹『道徳教育を学ぶための重要項目100』(2016,教育出版)

2022/04/18

教師は2つの側面の片側にすぎない


 リフレクティングでは、「話す」と「聞く」を丁寧に行きつ戻りつさせます。実際の医療場面においては、ミラーや明かり、音声などの切り替えを使って「話す」と「聞く」の切り替えが行われるようです。

 さて、この「切り替え」というリフレクティングの手法について、矢原(2016)は以下のように述べています。

(以下、引用参考文献から抜粋)

明かりと音声の切り換えは我々と家族の関係を驚くほど自由にした。われわれはもはや責任をもつ側にあるだけではなく、2つの側面の片側に(すぎなく)なったのである。

(以上)

 さて、上記のことを道徳科授業というフィルターを通して考えてみると、「責任をもつ側」は教師の立場になることが多いでしょう。しかし、これまでは教師が授業の責任を全て背負い、子供たちをある地点(発言や思考、気づき)まで連れていかないといけないと思い込んでいなかったでしょうか。私も含めて多くの授業者が、発問や展開の工夫に取り組んできました。それは大変意味のあることではありますが、どれだけ大きく見繕っても、私たちは授業を創る片側に過ぎないのです。むしろ、考える主体は子供たちであり、唯一の正解を授業者が持っているかのごとく授業をすることは、なんとおこがましいことであるかを自覚する必要があるのではないでしょうか。

 さて、私たちは、子供たちが「話す」ときに、どれだけ「聞く」ことができているでしょうか。教師が「話す」と「聞く」を明確に区別できるようになった時、道徳科授業は教師と子供がともに責任を背負う(創り上げる)ものとなり、さまざまな意見の交換からさらに新たな会話が展開していく授業になるのではないかと、私は思っています。


《引用参考文献》

矢原隆行『リフレクティング 会話についての会話という方法』(2016,ナカニシヤ出版)

2022/04/17

問い方のマジック


 「あれか」「これか」という考え方から、「あれも」「これも」という考え方への転換(物事には多様な見方があり、さまざまな意見の交換からさらに新たな会話が展開していくことを望ましいとする考え方)。「リフレクティング・プロセス」におけるトム・アンデルセン(2015)の考え方を先日紹介しました(2022年4月16日)。

 「あれか」「これか」を二項対立として考えた際、苫野一徳(2014)の『問い方のマジック』という考え方も知っておきたいところです。苫野は、二項対立的な問いの立て方を『問い方のマジック』と呼び、「あちらとこちら、どちらが正しいのか?」と問われると、わたしたちは思わず、「どちらかが正しいのではないか」と思ってしまう傾向があるとしています。

 二項対立的な問いの立て方は、道徳科授業でもよく見かけます。子供たちの発言も活発になり、一見すると大変効果的な手立てに見えます。確かに、4月の、まだ考えたり議論したりすることに不慣れな学級では価値ある手立てだといえます。しかし、そのような授業を重ねていくと、これは私の経験則なのですが、自分たちの正しさを主張し、相手の正しさを批判する傾向が生まれてしまいます。これでは本来道徳科授業で目指したい「対話」と大きく目的が異なってしまいます。

 さて、二項対立的な「問いのマジック」について、苫野はグレーゾーンの存在を紹介しています。二項対立の中に存在するグレーゾーンに着目させ、そこにある視点を整理したり融合させたりすることで、新たな思考や枠組みを生み出すことができるということです。対立しそうなものを調和的に考え、お互いを補い合う視点を生み出し、新たな価値を創造していく。このような思考過程が重要であると論じています。

 『問い方のマジック』に惑わされることのないよう、「グレーゾーンに着目する」という視点を道徳科授業での経験を通して子供たちに身につけさせてあげたいものです。


《引用参考文献》

トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)

苫野一徳『教育の力』(2014,講談社)

2022/04/16

「あれか、これか」から「あれも、これも」へ


 トム・アンデルセンは、リフレクティングのやり方についていくつかのルールを設けています。そのうちの一つは、以下のようなルールです。


(以下、参考文献より抜粋)

 あくまでその場の家族たちの会話内容にもとづいて反応や解釈を行い、他の文脈からそれを持ち込まないということ。これと同時に、断定的な話し方は避け、「私は・・・と感じました」「僕には・・・と聞こえた」「ひょっとすると・・・かもしれない」といった話し方を用いる。このようにすることで、家族たちの会話に沿いながら、唯一の正解を競うことなく、多様な選択の可能性(チームの話に対する受け取りの自由さ)が確保される。

(以上)


 このルールを設けたのには、会話(対話)に対する考え方の転換が重要であるという姿勢があるようです。リフレクティングの中に唯一の「正解」や「真理」が存在し、専門家こそがそれを有しているという考え方(すなわり「あれか、これか」)から、物事には多様な見方があり、さまざまな意見の交換からさらに新たな会話が展開していくことを望ましいとする考え方(すなわち「あれも」「これも」)への転換が求められているのです。

 道徳科授業では、「子供たちの意見を受け入れる」「誰の意見も否定しない」という暗黙の決まりがあります。この決まりが道徳科授業に存在する理由には、上記の『「あれか、これか」から「あれも、これも」への転換』という願いが隠されているのではないかと私は思いました。


《引用参考文献》

トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)

2022/04/13

役割演技とリフレクティング(2)


 道徳科授業の手法である「役割演技」の秘密を解き明かしていくシリーズ第2弾です。

 前述した通り、「役割演技」は二つの場面に区切ることができます。それは、「演じている」場面と、演技後に演者と観客(または観客同士)が対話する場面です。ここでは後者について述べていきます。

 前回、役割演技を用いた話し合い(演技後の対話)は、「話す」と「聞く」を丁寧に「行きつ戻りつ」する仕組みが工夫されていると述べました。そこで大事になることは、話し手と聞き手の立ち位置です。

 トム・アンデルセン(2015)は、心理療法における「リフレクティング」で大事にすべき点として、「聞かなくてもいい自由」を保障することだと述べています。例えば、「家族達と同室で話す場合、家族たちの方に目を向けて話さず、チームのメンバー同士で向き合って話すこと。これによって、聞いている人たちを視線で縛ることなく、「聞かなくてもいい自由」が確保される」としています。

 これらのことから役割演技における対話の在り方を考えてみます。演技の感想を観客役の児童生徒に発表させる時、演者役はどこにいますか。教室前面(黒板前)に座っているとすると、演者は観客役の視線で縛られてしまいます。要するに「聞かなくてもいい自由」が保障されないのです。逆に、演者の感想を述べさせる際、誰に(どこに)向けて話をさせますか。観客役の児童生徒に向けて感想を述べさせると、演者の視線が観客役の児童生徒を縛ってしまいます。演者が感想を述べる際には、観客役の児童生徒が視界に入らぬよう、教師に目を向けさせて話をさせることが望ましいということになります。

 このように、「視線に縛らせない」ということを役割演技における対話場面では大切にしてみてはどうでしょうか。

 

《引用参考文献》

トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)

2022/04/12

役割演技とリフレクティング


 道徳科授業の効果的な手法である「役割演技」の秘密を解き明かしていくシリーズです。

 「役割演技」を二つの場面に区切ることができます。それは、「演じている」場面と、演技後に演者と観客(または観客同士)が対話する場面です。ここでは、後者について述べていきます。

 演技後、一般的には以下のような手順で話し合われます。

(1)演技を観た観客の感想を尋ねる。

(2)観客の感想について、観客が話し合う。

(3)観客の感想を聴いて、演者がどのように感じたかを尋ねる。

(4)演者の感想を聴いて、観客が再度話し合う。

(5)演者の感想を聴く。


 この手順は一つの例ですが、演者と観客を意図的に分けていることがわかります。この手法は、心理療法における「リフレクティング」になります。

 リフレクティングについて、トム・アンデルセンは以下のように述べています。

(以下、抜粋)

 では、改めてリフレクティングとは何をすることなのでしょうか。「はじめに」でも述べたように、それは「はなす」ことと「きく」ことから成り立っています。そう言われると、あまりに当たり前のようで拍子抜けしてしまうかもしれません。しかし、それが日常的に行われている会話は話し合いと異なっているのは、そこでは、より広い文脈において「話す」ことと「聞く」ことを丁寧に「行きつ戻りつ」することができるための仕組みが適切に工夫されているという点です。リフレクティングにおいて、「はなす」ことを外的会話(他者との会話)、「聞く」ことを内的会話(自分との会話、あるいは、自分のうちなる他者との会話)と呼びます。この二つの会話の区別はとても大切なことなので、ぜひ心に留めておいてください。リフレクティングは、この二種の会話を丁寧に重ね合わせ、うつしこみ合わせながら展開していく(すなわち、会話について会話する)ための工夫に満ちた方法なのです。

(以上)

 このように、役割演技を用いた話し合い(演技後の対話)は、「話す」と「聞く」を丁寧に「行きつ戻りつ」する仕組みが工夫されている手法ということができます。


《引用参考文献》

トム・アンデルセン著 鈴木浩二監訳『リフレクティングプロセス 会話における会話と会話』(金剛出版、2015)