2022/07/22

即答できない「問い」


  筑波大学附属小学校の加藤宣行氏(2022)は、子どもたちが「う〜ん、ちょっと待って」と考えこむような「問い」を作るポイントとして、「わかりきっている(と思っている)こと」をひっくり返すとよいと述べています。前提を覆すということです。

 「友達と協力してがんばる」ということの大切さを子どもたちは知っています。または、そういうものだと思い込んでいます。その思い込みををひっくり返す発問例として、「自分の主張や気持ちを抑えて相手に合わせるということですか」という問いを加藤は提示しています。子どもたちは「いや、そういうことではない」と言い出し、自分の感覚(価値観)に向き合い始めるということを述べています。

 さて、加藤の「前提を覆す」という問いづくりのポイントは、大変有効であると実感しています。例えば、6年生教材「ブランコ乗りとピエロ」の授業で、「ピエロはサムを許したのですね。我慢したということだね」と問いかけたところ、子どもたちの中にザワザワとしたつぶやきが生まれ、「違うと思う」「あ〜、難しい!」という声が聞こえてきました。「考えたい」「伝えたい」が生まれた瞬間でした。

 子どもたちが考え込むような問いを作るということを、授業者として大事にしたいものです。


《引用参考文献》

『道徳教育2022年8月号』(2022,明治図書)

2022/07/21

教材研究で見出すこと


 教材研究で何をすべきなのか。服部(2022)は「教材研究の中で見出すこと」と「必要のないこと」について提唱しています。


(1)教材研究によって見出す必要のないこと(道徳的価値の自覚に結びつかない)

 ・主人公はどんなことをしたか

 ・主人公が行った道徳的行為は何か

 ・場面ごとの主人公の気持ち

 ・主人公の気持ちの変化について 等


(2)見出さなけれなならないこと(道徳的価値の自覚に結びつくこと)

 ・主人公が道徳的に行為することについて迷ったこと、迷った理由

 ・主人公の行為は道徳的行為と言えるか、その理由

 ・主人公が道徳的行為を選択した理由

 ・主人公が道徳的行為を選択したことに対する他の登場人物の思いや考え

  (道徳的行為を選択しなかった時と比較して)

 ・主人公は道徳的行為を選択したが、その結果がよくなかった場合の、道徳的な「よさ」や「意味」

 ・はじめの主人公に足りなかったものは何か。なぜ、そのような考え方しかできなかったのか    等


 以上のことから、大切なことは、児童・生徒にとってわかりきったこと、教材を読めばわかることではなく、新たな気づきや納得できる視点を見出すことだと服部は論じています。


《引用参考文献》

『道徳教育2022年8月号』(2022,明治図書)

2022/07/20

内容項目と授業のねらい


 大阪成蹊大学の服部敬一(2022)は、「学習指導要領解説の内容(内容項目)が授業のねらいにはならない」ということについて、学習指導要領解説をもとに説明しています。

(以下、学習指導要領解説22頁より一部抜粋)

「(前略)これらの内容項目は、児童自らが道徳性を養うための手掛かりとなるものである。なお、その指導にあたっては、内容を端的に表す言葉そのものを教え込んだり、知的な理解にのみとどまる指導になったりすることがないように十分留意する必要がある」

(以上)

 近年、「社会正義とは」「誠実とは」など、短い言葉を授業のテーマに掲げ、その言葉の意味について考えさせる授業がよく見られますが、授業の終末にその言葉の意味を考えさせるだけでは、道徳科授業の本質からは離れてしまうということです。思考の矢印を「言葉」に向けるのではなく、道徳科授業では「自分自身」に矢印を向けさせる(自己をふり返らせ、生き方を考えさせる)必要があるのです。


《引用参考文献》

『道徳教育2022年8月号』(2022,明治図書)

2022/07/17

価値の一般化を妨げない配慮


 青木孝頼(1983)は、価値の一般化を実現するための配慮として以下の三点を述べています。

(以下、著書より抜粋)

(1)導入段階の話合いでは、中心発問の場面、条件と同じ素材を扱わないこと。

(2)展開段階の前半では、「自分自身はこのような場合どうしているか」といった発問をできるだけ避けること。

(3)終末段階では、「明日からの決意」を語らせないようにすること。

(以上)

 この配慮事項は、現在の道徳科授業においてもよく意識されていることではないでしょうか。


《参考引用文献》

青木孝頼編著『価値の一般化の発問』(1983,明治図書)

2022/07/16

人権課題「子どもの人権」


 法務省が提唱している「社会全体で解決すべき主な人権課題」の中の一つに「子どもの人権」があります。「虐待」や「いじめ問題」、「ヤングケアラー」などが思い浮かびます。ここでは道徳科授業と人権教育の関連を「いじめ問題」を通して考えます。   道徳科授業の内容項目「C公正、公平、社会正義」の高学年では、「傍観者」と「躊躇なくSOSを出すこと」について考えさせることを意識して授業をつくる必要があります。学習指導要領解説に以下のような記載(小学校解53頁から抜粋)があるからです。

(1)いじめなどの場面に出会ったときにともすると傍観的な立場に立ち、問題から目を背ける人も少なくない。 

(2)同調圧力に流されないで必要に応じ自分の意思を強くもったり、学校や関係機関に助けを求めたりすることに躊躇しないなど(後略)

 このように、道徳科授業の中で、いじめの傍観者になってしまう人間の弱さや後ろめたさについて考えさせたり、いじめの解決方法の一つとして学級の誰かがSOSを出すことが大切であると理解させることが重要になるのです。

 しかし、「考えさせる(イメージさせる)」だけでは実践行動にはつながりません。だからこそ、道徳科授業と人権教育を関連させて授業をデザインする必要があるのです。

 さて、人権教育には3つの側面があります。

(1)態度的側面・・・差別や偏見を許さず、様々な人権課題を解消したいと願う心を育てる。

(2)知識的側面・・・差別の現実や歴史についての正しい知識を学ぶ。

(3)技能的側面・・・差別・偏見の解消に向けて行動するための実践行動力を育てる。

 道徳科授業で「善を尊び悪を許さない心」を育てることは人権教育の一側面(態度的側面)になります。しかし、その一面だけでは現実的にいじめの解消は難しいでしょう。授業の中や事後指導で、いじめの4層構造や法律など(道徳科教科書にも記載)の正しい知識について学ぶことで、知識的側面を養うことも大切になります。

 そのうえで、例えば授業後に「いじめアンケート」を実施することにします。そのアンケートを「SOSの出し方を学ぶ」という経験に位置付けることで、技能的側面を養うことができます。

 このように、一つ一つの教育活動を「人権課題の解消のための資質・能力の向上」につなげることが、人権教育の在り方なのです。

2022/07/14

問題意識をもたせるために


 道徳科授業では子供たちの「問題意識」がとても重要になります。「問題意識」のない授業は、残念ながら「考えたい」「伝えたい」という意欲は生まれず、分かっていることを言わされる授業になってしまいます。

 では、どのようにすれば道徳科授業で「問題意識」をもたせることができるのでしょうか。ここでは、どのタイミングで「問題意識」が生まれるのかを整理してみます。

(1)導入で生まれる問題意識

(2)導入との対比で生まれる問題意識

(3)範読で感じる違和感から生まれる問題意識

(3)視点の違いから生まれる問題意識

(4)人間理解(弱い自分)から生まれる問題意識

(5)価値理解(発達段階の違い)から生まれる問題意識

 このように、問題意識が生まれるタイミングは教材や授業展開で異なります。しかし、どのタイミングであろうと、その問題意識が生まれた瞬間から子供たちは道徳科授業の世界に入り込むのであり、そこから主体的・対話的な学習が始まるのです。

2022/07/13

「価値の一般化」を阻害する授業展開


 青木(1983)は、「価値の一般化」を促す授業展開について具体的な発問例を批判的に紹介しています。


(1)「主人公に手紙を書く」という手法について

 価値の一般化の段階において教材中の主人公に手紙を書くという手法がありますが、実際の授業を見る限りほとんど効果はないと青木は述べています。

 手紙を書くことの意図として、現在の自分自身の価値観の自覚に基づいて主人公に語りかけることで自分自身の内省の役割を果たすことができるということをねらいます。しかし、子ども達の書く内容のほとんどは資料中の場面や条件に限定されてしまうので、単なる「生活化」に役立つことはあっても、「価値の一般化」の役割を果たすことは期待できないと青木は述べています。


(2)「主人公から学んだもの」という発問について

 道徳の指導過程の中には、教材を取り扱った後で、価値の一般化を図るために「主人公から学んだものは何か」「この資料で、どんなことを考えたか」といった発問がされる授業もあります。

 青木は、こうした発問に対する子どもの反応の中には、ねらいとする価値の一般化に役立つものも確かに見られるが、学級の中の大多数の子どもの反応は、やはり教材中の特定場面、特定条件に限定された範囲内での考えや感想にとどまってしまうと分析しています。

 例えば、「規則の尊重」の授業の場合、「わがままをしないこと」「自分のことばかり考えないで、相手のことも考える」「人の迷惑になるかどうかよく考える」などが感想として出てきます。しかし、これらの感想は教材を取り扱った後であるため、結論として何をねらいとする道徳科授業だったのかという批判を招くことになると青木は述べています。

 このように、「学んだもの」「考えたこと」といった漠然とした発問は「価値の一般化」を図る工夫とは考えられないのであり、このような発問が有効とされるためには、

自分の過去、現在をかえりみて、ねらいとする価値についての自分の価値観と比較した場合に何を学んだか、何を考えたかを答えるのだということを、子ども達に明確に伝える発問でなければならないとしています。


《参考引用文献》

青木孝頼編著『価値の一般化の発問』(1983,明治図書)

2022/07/11

「価値の一般化」と「生活化」

 青木(1983)は、「価値の一般化」の課題として以下のように述べています。

(以下、著書より一部抜粋)

 道徳の指導過程の基本型とされるものの中には、価値の一般化の段階の代わりに、「生活化」という言葉を用いている場合も少なからず見出される。(中略)「価値の一般化」という言葉を避けて、そのことを「生活化」と呼ぶのであれば、両者は単に表現の違いだけであって異なるものとは言えない。しかし、「生活化」という言葉が広く用いられることは望ましいとは考えられないのであり、特に道徳の時間の特質が十分に把握されていない学校、指導者の場合には誤った受け取り方をされるおそれが極めて大きいと思われる。すなわち、資料を取り扱った後に、子どもたちに直接実践を志向させる指導をもって「生活化」であるとする例が少なくないからである。「資料中の主人公のように、実際に行動できるか」「明日からどのように行動しようと考えるか」などの、いわゆる決意を表明させる指導が「生活化」であるとする限り、「価値の一般化」とは異なるものと考えなければならないし、このような「生活化」は「価値の一般化」を妨げることにもなることを忘れてはならないのである。

(以上)

 上記の記述からは、「価値の一般化」の理解を誤ると、単なる決意表明(生活化)になってしまい、道徳科の本質と離れてしまうということを知ることができます。 


《参考引用文献》

青木孝頼編著『価値の一般化の発問』(1983,明治図書)