小学校1年生教材「はしの上のおおかみ」の基本発問について考えます。
この教材の定番の基本発問として、「意地悪をしているおおかみは、どんな気持ちだったかな」という発問をよく見かけます。物語前半の意地悪をしている時の気持ちと、後半の親切にした時の気持ちを対比させるための授業展開のための発問です。
この授業展開に異論はありませんが、ここで一度、その基本発問を見つめてみようと思います。例えば、学級にいる「意地悪」をされている子にとって、この発問はどのような思いをもたらすでしょうか。意地悪をされて嫌な思いをしているのに、授業では「意地悪はおもしろい」「気持ちいい」などの発言を聞かされると、何ともいたたまれなくなってしまいます。
意地悪をされている子にとって、意地悪をしている時のおおかみの気持ちは、「うさぎに悪いことをしてしまったな」「意地悪してしまったけど、あやまりたいな」という思いであってほしいのではないでしょうか。
「いじめ」を扱う授業で、「いじめって、おもしろいよね」という発言を道徳科の授業で求めるでしょうか。「差別」を扱う授業で、「差別って、気持ちいいよね」という前提で授業を進めるでしょうか。しかし、この教材では、当たり前のように「いじわるって、おもしろい(気持ちいい)」という発言を求め、それを前提として授業が進みます。このことに、授業者として違和感を抱き、定番の発問を疑ってみるという授業者の姿勢が必要なのではないかと考えます。
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