道徳科の論文執筆
日本道徳教育学会会報(第76号)に、田沼茂紀氏が「なぜ論文執筆をするのか」という記事を執筆しています。
(以下、抜粋)
論者がまず己に問いかけるのは、その研究によって何が明らかになり、論文化することでどのような社会貢献が可能になるのかという二点です。つまり、自己満足のための論文書き、書くことが目的化した論文ほどつまらぬものはありません。
先ず取りかかるのは、日々取り組んでいる研究テーマについて「問題の所存」を鮮明にする作業です。なぜなら、問い無きところに解は存在しないからです。問いが明確になれば、それをどう追及して目指すべき結論を得ようとするのかという「研究目的」となるゴールが設定できます。
次に、ゴールへどのように辿り着くのかという「研究方法」を柔軟な視点で考えます。凝り固まった発想からは、凝り固まった結論しか得られません。その論述を目にしただけで半ば結論が見えてしまうのは、読み手に失望を与えるだけです。
研究方法が固まったら、それを解明するための道筋について「推論・仮説」を設けます。そうしないとただ闇雲に突き進むことになります。その推論や仮説を解明することこそ、「研究内容」そのものです。文献研究であれ、調査研究であれ、実証研究であれ、しっかりと先行研究を踏まえながら本研究で見出した結果や結論を手掛かりに丁寧に論証し、自らの推論や仮説がどうであったのか考察していきます。
最後にその研究で得た「全体考察」を述べますが、そこで大切なのは得た知見から新たに生じた「今後の課題」です。研究にゴールはありません。常に新たな課題が必ず立ちはだかるのです。
(以上)
道徳科の論文や実践報告に取り組む際に参考にしたいと思います。
《参考引用文献》
日本道徳教育学会会報 第76号(2023年4月)
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