2025/06/16

雨のバスていりゅう所で


 小学校4年生教材「雨のバスていりゅう所で」について考えます。内容項目は、「C 規則の尊重」です。

 さて、本教材の授業をする際は、言葉の定義を教師が確認をして、どの言葉を使うのかを整理しておくほうがよさそうです。バス停に並ぶのは、規則ですか?決まりですか?マナーですか?ルールですか?常識ですか?同じく、雨の日にたばこ屋の軒先に並んでいるのは、決まりですか?マナーですか?ルールですか?常識ですか?それとも、異なる言葉があるのでしょうか。

 どの言葉を使うにしても、授業の中で言葉の使い方がコロコロと変わってしまうと、子供たちは混乱してしまうかもしれません。だからこそ、意図的に言葉を選択する必要があるでしょう。

2025/06/13

「対話」か、「対話的」か


 道徳科の指導案を書く際に、「対話させる」という文言をよく見かけます。子供たちに話し合わせることを「対話」という言葉に置き換えているようにも感じられます。

 学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」という学び方が提示されています。「対話」ではなく「対話的」と記載されていることは、「対話」と「対話的」は明確に異なるものだと認識できます。では、その両者の違いはどのようなものでしょうか。

対話

ゴールが定められていないもの。自由に話せる。

対話的

定められたゴールがあり、そのゴールに向かって話し合いをすること。

 このように「対話」と「対話的」の意味を定めた場合、道徳科の授業では、価値について考えを深める前半・中盤は「対話的」に授業をすすめ、自己を見つめたり生き方を考えたりする後半は「対話」を意識する流れが考えられるでしょう。

2025/06/02

「人物になりきって考える」と「役割取得能力の育成」の関連


 道徳科の授業では、登場人物の気持ちになって考えさせることが多いです。登場人物になりきることで、普段の自分なら言えないようなことも、登場人物の姿を借りて発言できるようになります。

 さて、登場人物になりきるという道徳科ならではの手法について、もう一つ大きな意義があります。道徳性の発達という視点から見たときに、相手の立場(登場人物)になりきって物事を考えたりする能力を役割取得能力と見ることができます。そして、その役割取得能力を育成することが、身につけることが道徳性の発達に寄与するとされています。「なりきって考える」という活動そのものが、役割取得能力の育成につながり、しいては子供たちの道徳性の発達につながるということです。

 このように考えると、「なりきって考える」という学習活動そのものがとても意味のあるものだと言えるでしょう。

2025/05/30

終末場面で大事にすること


 終末場面で一つの正解を導こうとする授業を散見します。「〇〇が大事だね」と授業をまとめようとする姿を子供たちが見続けると、道徳科には先生だけが決められる正解があるのだと思ってしまいます。それでは、子供たちが主体的に生き方を考えることはできないでしょう。

 さて、井上治郎は、著書の中で終末場面で大事にしたいことについて、「教室内のやりとりが、教室外にも延長されるようにしむけることだけである」と述べています。これこそ、自己(自分)の生き方について考えを深めることを求められている道徳科の終末場面にふさわしい考え方だと思われます。


2025/05/26

自己を見つめる


 「価値理解・他者理解・人間理解」の3つの理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考えることで道徳的価値の自覚を深められるとともに、自分事として考えられるようになります。

 では、「自己を見つめる」とは、どのようなことなのでしょうか。学習指導要領解説では、以下のとおり記載されています。


2025/05/24

自分事として考える


 道徳科の授業において、「自分事として考える」とはどのようなことを指すのでしょうか。

 学習指導要領解説では、道徳科では「価値理解・他者理解・人間理解」の3つの理解が大事だとされています。さらに、この3つの理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考えることで道徳的価値の自覚を深められるとしています。自己を見つめた時に、はじめて自覚が深まるということです。要するに、「理解」とは他人事という段階であり、この「理解」に「自己を見つめる」が入ったとき、自分事にすることができるということです。





2025/03/08

手品師の夢?


 小学校6年生教材「手品師」(A「正直、誠実」)の授業の中で、ある子が以下のような発言をしました。

手品師の夢は、自分のためのものであり、私利私欲である。

 この発言を聞き、他の子供たちも「え!そうなの?」と心が揺さぶられていました。「誠実」という言葉を調べてみると、「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。」とありました。

 貧しい暮らしをしている手品師は、大きな劇場で華やかに手品をやりたいという夢をもっています。そのために腕を磨いていました。

 この手品師の夢は、私利私欲なのか。貧しさから脱却をしたいと思う心は私利私欲なのか。それでは、「夢」とはいったい何なのか。この発言から、様々な問いが浮かんできます。

 例えば、「希望と勇気、努力と強い意志」の教材と連携させ、事前に「夢」や「希望」について考えさせておいて、その学習内容を踏まえて本教材の授業に望むと、子供たちの思考もより深まるのではないでしょうか。