2025/09/10

道徳科授業の構想 ~何を考えさせたいのか~


  道徳科授業の発問や展開を考える際、何から考え始めたらよいのでしょうか。時系列に導入場面から考え始めますか? 

 ここで提案をしたいのは、まずは「この教材で何を考えさせたいのか」ということを決めてはどうかということです。学習指導要領解説を読み、その記述と教材文を関連させることで、その教材で一番何を考えさせたらよいのかを決めることができます。教材を教えるのではなく、教材で教える。その教えるものは何なのかということです。


2025/09/08

子供たちによる教材づくり(3)


  小学校6年生の子供たちと行った「道徳科の教材づくり」という活動で作成した、子供たちによる自作教材です。日常生活と密接な内容になっています。日頃の作文指導の一つとして取り組むこともできます。


2025/09/05

子供たちによる教材づくり(2)


  小学校6年生の子供たちと「道徳科の教材づくり」という活動を行ってみました。子供たちは、それぞれの日常の中でのうれしかったことやで困ったことなどを思い出しながら、みんなで話し合ってみたいことを書き綴っていました(内容項目の指導や紹介などはしていません)。

 那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。

(以上)

 この教材づくりという活動においても、子供たちは道徳科の教材の基本的な流れをこれまでの経験から学び取っていることを感じることができます。 


(引用参考文献)

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)

2025/09/03

子供たちによる教材づくり(1)


 那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。

(以上)

 子供たちは、毎週の道徳科授業を通して、様々な教材と出会っています。多くの教材との出会いを通して、教材の特性を帰納的に学んでいるといえます。そうであれば、子供たち自身が教材を作成することも可能なのではないでしょうか。 

 そこで、実際に小学校6年生の児童と教材づくりに取り組んでみたところ、このような教材が生まれました。

 同じ「幸せになる」という言葉ですが、小学校6年生の考える「幸せ」と、大人の思い描く「幸せ」とでは、見ているものが異なるのでしょう。このように、教材づくりを通して、子供たちの内面を教師は知ることもできるのです。このような教材を授業で実際に扱うこともできますし、朝の会などでの「小さな対話」の教材にすることもできます。教材づくり、ぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか。


(引用参考文献)

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)

2025/09/01

子供たちが授業者となる道徳科授業の可能性


 那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。私たちは、膨大な数のスクリプトを毎日の生活の中で帰納的に学習し、それを上手に活用しているのです。(中略)このような各教科等の授業スクリプトに沿って、子どもたちは先生ごっこに興じているのです。興じると言っても、学習の一環だと理解はしていますから、実に真面目に取り組みます。とりわけ、先生役の子どもたちは真剣そのもので、事前の準備もしっかりやってきます。

(以上)

 子供たちは、日々の道徳科授業を通して、授業の展開や、次にどのような発問をされるのかを自然と学び取っているということです。だからこそ、子供たちが予想できないような発問を授業者が考えることが、授業づくりのおもしろさと言えるかもしれません。

 また、異なる視点で考えてみると、子供たちが授業の流れを自然に学んでいるのであれば、授業の計画や進行を子供たちに委ねるということも考えられます。上記で紹介した那須正裕は、以下のようにも述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 「特別の教科 道徳」や学級活動は、ほぼ全面的に子どもに委ねて大丈夫です。必ずしも教師が意図していた展開や結論にはなりませんが、心配するほどにはズレてはいかないものです。また、意図した結論に至らなかったとしても、それではいけないのか、いけないとすれば何を目指して授業をしているのかについては、あらためてしっかりと話し合う必要があるでしょう。そういったことも含めて、「自学・自習」は授業とは何かを深く考えさせてくれます。

(以上)

 このように、事前の準備や打合せはもちろん必要となりますが、子供たちが授業者となる道徳科授業も可能なのではないでしょうか。


(引用参考文献)

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)

2025/08/29

対話のための準備(小さな対話)


 道徳科の授業で子供同士の対話を促したい。そのために、発問や展開、学習活動を工夫する。とてもよいことです。しかし、目の前の子供たちは、対話の土台となる「つながり」が構築されているでしょうか。また、対話をするという経験を積んでいるでしょうか。

 対話をするうえで、学級の子供たちのつながりがとても重要です。安心できる関係性があるからこそ、積極的に話そうとしたり、きちんと話を聞こうとしたりできます。また、これまでに一つのテーマ(発問)に対して深く考えたり伝えようとしたりする経験を重ねていなければ、この場合もやはり対話をすることに躊躇してしまいます。

 そこで、朝の会や帰りの会、予鈴から本鈴の間、授業中の隙間時間などを活用して、年間を通して「小さな対話」を繰り返し行ってはどうでしょうか。その際に、何もテーマがなければ意欲的に話をすることはできません。そこで、市販されているカードなどを使う手立てが考えられます。例えば、「てつがくおしゃべりカード」「シャベリカ」(株式会社アソビジ)などを使うと、その場ですぐにテーマを決め、話を始めることができます。突然にテーマが決まるので、子供たちの対話の瞬発力も育てられます。

 このように、対話の力は授業の中だけで育てられるものではないという前提のもと、全ての教育活動を通して育てるものであるという考え方も大事になります。


2025/08/27

確かな児童(生徒)理解のための対話(3)


 児童(生徒)理解で大事なことは、相手から聞いた話を自分の常識に当てはめて理解しようとしないことです。道徳科授業においても、「教師」という専門的な立場や知識を脇に置き、今目の前にいる子供たちが何を感じ、何を考え、何を伝えようとしているのか、同じように今を生きている一人の人間として、できる限りの興味をもって聞こうとすることが大事になるでしょう。


2025/08/25

確かな児童(生徒)理解のための対話(2)


 いわゆる生徒指導場面において、子供に対して「なぜ、そのようなことをしたのか」と尋ねている姿を見かけます。これは、問題行動における「原因」を尋ねているのであって、「過去」を問うことになります。尋ねられた子供たちは、「だって、〇〇さんが〜」と、思考の矢印を他者に向けてしまいがちです。そして、どれだけ自分の正当性を伝えようとも、その先には「でも、そんなことはしてはいけない」というゴールが見えています。それでは、自分自身の思いや願いを見つめ直すことは難しいものです。

 そこで、「あなたはどうしたかったの?」「どうなりたかったの?」と尋ねてみることにします。これは、問題行動における「願い」を尋ねているのであって、「未来」を問うことになります。「未来」を尋ねられた子供たちは、「本当はいっしょに遊びたかった」「仲良くなりたかった」など、思考の矢印を自分に向けることができ、心の奥にある思いを見つめられます。

 このように、問い方を変えるだけで子供たちの思考の方向性が変わることがあります。これは、道徳科授業における発問でも同じことが言えるでしょう。「◯◯は、なぜこのような行動をしたのか」という発問を、「◯◯はどうしたかったのか」のように変えることで、子供たちは中心人物の願いや、その先にある未来を想像することができます。このように、「未来を問う」ことも発問や問いを考える際の重要なポイントと言えるでしょう。

 


2025/08/22

確かな児童(生徒)理解のための対話(1)


 児童(生徒)理解のためには、何よりも目の前の児童(生徒)のことを知りたいと願う教師の思いが必要です。そのうえで、その児童(生徒)がどのように物事を捉えているのか、どのような世界を生きているのかを、対話を通して理解していくのです。児童自身に教えてもらうのです。
 道徳科の授業においても、時に教師の想定を超える思考や発言が生まれます。そのような思考や発言に対して、「そんな発言はおかしい」「その考え方はふつうではない」と捉えてしまうのではなく、「なぜ、そのように思ったの?」「もっと教えてほしいな」というように、「あなたのことをもっと知りたい」と思える教師が、道徳科の授業では求められているのです。



2025/08/21

道徳科授業と児童(生徒)理解

 よりよい道徳科授業を行うためには、授業者と子供たちとの関係性が重要になります。日頃の学級経営の中で、子供たち一人一人の実態を把握しようとできているか、いわゆる「児童(生徒)理解」が大事なのです。

 発問を考える際にも、「Aさんなら、どのように考えるだろう」「Bさんはきっと〜と考えるだろうから、どのように問い返そうかな」など、子供たち一人一人の思考や反応を想像することで、目の前の子供たちのための道徳科授業が生まれるのです。



2025/07/01

学習の見通し


 社会科の元教科調査官の澤井陽介は、著書の中で以下の通り述べています。

(以下、引用参考文献より一部抜粋)

 「今日は何を教えてくれるのかな」という受け身の姿を「今日は〜について話し合いたい」という姿にしていくためには、『学習の見通し』を持たせることが第一歩となる。それは、教師が用意した「めあて」を単に示すというものではない。子供達の素朴な気付きや疑問から学習問題を設定する。写真やグラフ、実物などの資料提示から断片(事実)に気づかせ、素朴な疑問を持たせる。それを教師が拾い集め学習問題を設定する。そうすると予想も自然と始まる。

(以上)

 上記は社会科の授業づくりを主に述べている書籍ですが、道徳科の授業づくりにも同様なことを言うことができるでしょう。学びの主体は子供たちなのだから、学びのための問いをもつのも子供たちであるべきなのです。


(引用参考文献)

澤井陽介『授業の見方「主体的・対話的で深い学び」の授業改善』(2017,東洋館出版社)

2025/06/30

ブランコ乗りとピエロ


 小学校6年生教材「ブランコ乗りとピエロ」の主題を、「考え方や意見の違う人を遠ざけることをどう思うか」と設定すると、どのような授業展開が考えられるでしょうか。

 はじめに、範読を聞いたあとに感想をペアで共有させます。アウトプットさせることで、あらすじを自分たちで確認させるとともに、本授業で話し合ってみたい問いも意識させ、自分ごととして授業に臨めるようにします。

 次に、ピエロの怒りに共感させたうえで、ピエロとサムの考え方の類似点と相違点を理解させます。その際、板書を対比的に書くことで、どちらもサーカスの成功を願っているが、考え方が違っていることを視覚的に気づかせます。

 その上で、サムに対するピエロの態度をもとに、考え方や意見が違う人を遠ざけることをどう思うかという本授業の大きな問いを共有します。

 そして、ピエロがサムを受け入れられた理由や、逆に半年間も受け入れられなかった理由を考えさせることで、広く受け入れる心についての考えを深めさせます。

 最後に、ワークシートを用いて、考え方や意見が違う人を遠ざけることに対しての自分の思いを考えさせることで道徳的諸価値の一般化を図り、自分の生き方を見つめさせます。

 今回の授業展開では「考え方や意見が違う人を遠ざけることをどう思うか」ということに焦点を当ててました。道徳科授業で大事なことは、本授業で何について考えさせたいのかを明確にするということです。

2025/06/28

ブランコ乗りとピエロ


 小学校6年生教材「ブランコ乗りとピエロ」について考えます。

 学習指導要領解説に以下のとおり記載されています。

(以下、学習指導要領解説[P49]を一部抜粋)

 この段階においては、自分のものの見方や考え方についての認識が深まることから、相手とのものの見方、考え方との違いをそれまで以上に意識するようになる。また、この時期には、考えや意見の近い者同士が接近し、そうでない者を遠ざけようとする行動が見られることがある。そのような時期だからこそ、相手の意見を素直に聞き、なぜそのような考え方をするのか、相手の立場に立って考える態度を育てることが重要である。

(以上)

  この記述の中で、今回は「そうでない者を遠ざけようとする行動がみられる」に注目してみます。なぜなら、このような行動は学級での子供たちの関係性にもよくみられ、その行動がきっかけでトラブルが起こりやすいのも高学年児童の特徴だといえるからです。そこで、本教材での大きな問いは「考え方や意見の違う人を遠ざけることをどう思うか」がふさわしいと考えられます。

 教材前半でのピエロの怒りは、考え方や意見の違うサムを遠ざけたいという身勝手な思いとも読み取れます。サムを遠ざけることで自分の立場を守ろうとしているということです。そこで、このピエロとサムの考え方の類似点と相違点を問うことで学びの焦点化を図り、「考え方や意見の違う人を遠ざけることをどう思うか」という問いにつなげていくのです。

2025/06/26

雨のバスていりゅう所で(2)


 小学校4年生教材「雨のバスていりゅう所で」(C規則の尊重)の授業について考えてみましょう。

 学習指導要領解説によると、中学年の指導の要点に以下の通り記載されています。

(以下、学習指導要領解説より一部抜粋)

 一般的な約束や社会のきまりの意義やよさについて理解し、それらを守るように指導していくことが大切である。さらに、社会集団を維持発展する上で、社会生活の中において守るべき道徳としての公徳を進んで大切にする態度にまで広げていく必要がある。

(以上)

 このことから、本教材の授業では、

  (1)きまりの意義やよさについて理解すること

  (2)公徳を大切にしようとする態度を育てること

 の2点に焦点を当てた授業づくりが求められそうです。

 なお、「公徳心」という言葉を調べてみると、「社会の一員としての自覚を持ち、社会のルールや秩序を守り、他人に迷惑をかけないように行動しようとする心」とありました。本教材の中で考えると、みんなが納得して決めている「軒下に並ぶ」というルールのよさを考えることと、列から飛び出して一番にバスに並ぶことは他人に迷惑をかけていることに気づかせることが大事になると考えられます。

 そのうえで発問についても考えてみます。

【公徳の存在に気づかせる発問】

〇なぜ、大人の方たちは、たばこ屋さんの軒下に並んでいいと思ったのでしょうか。

〇たばこ屋の前に並んでいる人は、よし子を見てどんなことを思っていたのかな?

〇嫌な気持ちの人がいるということは、そこに何かしらのきまりがあるのでは?



【軒先に並ぶことは、その場にいるみんなが納得して決めていると気づかせる発問】

〇たばこ屋さんの軒先に並んでよいということは、誰が決めたことなの?


【軒先に並ぶことが、その場のみんなの利益になっていることに気づかせる発問】

〇なぜ、たばこ屋さんの軒先に並ぶことに納得しているの?

2025/06/16

雨のバスていりゅう所で


 小学校4年生教材「雨のバスていりゅう所で」について考えます。内容項目は、「C 規則の尊重」です。

 さて、本教材の授業をする際は、言葉の定義を教師が確認をして、どの言葉を使うのかを整理しておくほうがよさそうです。バス停に並ぶのは、規則ですか?決まりですか?マナーですか?ルールですか?常識ですか?同じく、雨の日にたばこ屋の軒先に並んでいるのは、決まりですか?マナーですか?ルールですか?常識ですか?それとも、異なる言葉があるのでしょうか。

 どの言葉を使うにしても、授業の中で言葉の使い方がコロコロと変わってしまうと、子供たちは混乱してしまうかもしれません。だからこそ、意図的に言葉を選択する必要があるでしょう。

2025/06/13

「対話」か、「対話的」か


 道徳科の指導案を書く際に、「対話させる」という文言をよく見かけます。子供たちに話し合わせることを「対話」という言葉に置き換えているようにも感じられます。

 学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」という学び方が提示されています。「対話」ではなく「対話的」と記載されていることは、「対話」と「対話的」は明確に異なるものだと認識できます。では、その両者の違いはどのようなものでしょうか。

対話

ゴールが定められていないもの。自由に話せる。

対話的

定められたゴールがあり、そのゴールに向かって話し合いをすること。

 このように「対話」と「対話的」の意味を定めた場合、道徳科の授業では、価値について考えを深める前半・中盤は「対話的」に授業をすすめ、自己を見つめたり生き方を考えたりする後半は「対話」を意識する流れが考えられるでしょう。

2025/06/02

「人物になりきって考える」と「役割取得能力の育成」の関連


 道徳科の授業では、登場人物の気持ちになって考えさせることが多いです。登場人物になりきることで、普段の自分なら言えないようなことも、登場人物の姿を借りて発言できるようになります。

 さて、登場人物になりきるという道徳科ならではの手法について、もう一つ大きな意義があります。道徳性の発達という視点から見たときに、相手の立場(登場人物)になりきって物事を考えたりする能力を役割取得能力と見ることができます。そして、その役割取得能力を育成することが、身につけることが道徳性の発達に寄与するとされています。「なりきって考える」という活動そのものが、役割取得能力の育成につながり、しいては子供たちの道徳性の発達につながるということです。

 このように考えると、「なりきって考える」という学習活動そのものがとても意味のあるものだと言えるでしょう。

2025/05/30

終末場面で大事にすること


 終末場面で一つの正解を導こうとする授業を散見します。「〇〇が大事だね」と授業をまとめようとする姿を子供たちが見続けると、道徳科には先生だけが決められる正解があるのだと思ってしまいます。それでは、子供たちが主体的に生き方を考えることはできないでしょう。

 さて、井上治郎は、著書の中で終末場面で大事にしたいことについて、「教室内のやりとりが、教室外にも延長されるようにしむけることだけである」と述べています。これこそ、自己(自分)の生き方について考えを深めることを求められている道徳科の終末場面にふさわしい考え方だと思われます。


2025/05/26

自己を見つめる


 「価値理解・他者理解・人間理解」の3つの理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考えることで道徳的価値の自覚を深められるとともに、自分事として考えられるようになります。

 では、「自己を見つめる」とは、どのようなことなのでしょうか。学習指導要領解説では、以下のとおり記載されています。


2025/05/24

自分事として考える


 道徳科の授業において、「自分事として考える」とはどのようなことを指すのでしょうか。

 学習指導要領解説では、道徳科では「価値理解・他者理解・人間理解」の3つの理解が大事だとされています。さらに、この3つの理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考えることで道徳的価値の自覚を深められるとしています。自己を見つめた時に、はじめて自覚が深まるということです。要するに、「理解」とは他人事という段階であり、この「理解」に「自己を見つめる」が入ったとき、自分事にすることができるということです。





2025/03/08

手品師の夢?


 小学校6年生教材「手品師」(A「正直、誠実」)の授業の中で、ある子が以下のような発言をしました。

手品師の夢は、自分のためのものであり、私利私欲である。

 この発言を聞き、他の子供たちも「え!そうなの?」と心が揺さぶられていました。「誠実」という言葉を調べてみると、「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。」とありました。

 貧しい暮らしをしている手品師は、大きな劇場で華やかに手品をやりたいという夢をもっています。そのために腕を磨いていました。

 この手品師の夢は、私利私欲なのか。貧しさから脱却をしたいと思う心は私利私欲なのか。それでは、「夢」とはいったい何なのか。この発言から、様々な問いが浮かんできます。

 例えば、「希望と勇気、努力と強い意志」の教材と連携させ、事前に「夢」や「希望」について考えさせておいて、その学習内容を踏まえて本教材の授業に望むと、子供たちの思考もより深まるのではないでしょうか。