道徳科授業の発問や展開を考える際、何から考え始めたらよいのでしょうか。時系列に導入場面から考え始めますか?
ここで提案をしたいのは、まずは「この教材で何を考えさせたいのか」ということを決めてはどうかということです。学習指導要領解説を読み、その記述と教材文を関連させることで、その教材で一番何を考えさせたらよいのかを決めることができます。教材を教えるのではなく、教材で教える。その教えるものは何なのかということです。
道徳科授業の発問や展開を考える際、何から考え始めたらよいのでしょうか。時系列に導入場面から考え始めますか?
ここで提案をしたいのは、まずは「この教材で何を考えさせたいのか」ということを決めてはどうかということです。学習指導要領解説を読み、その記述と教材文を関連させることで、その教材で一番何を考えさせたらよいのかを決めることができます。教材を教えるのではなく、教材で教える。その教えるものは何なのかということです。
小学校6年生の子供たちと行った「道徳科の教材づくり」という活動で作成した、子供たちによる自作教材です。日常生活と密接な内容になっています。日頃の作文指導の一つとして取り組むこともできます。
小学校6年生の子供たちと「道徳科の教材づくり」という活動を行ってみました。子供たちは、それぞれの日常の中でのうれしかったことやで困ったことなどを思い出しながら、みんなで話し合ってみたいことを書き綴っていました(内容項目の指導や紹介などはしていません)。
那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。
(以下、参考引用文献より一部抜粋)
子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。
(以上)
この教材づくりという活動においても、子供たちは道徳科の教材の基本的な流れをこれまでの経験から学び取っていることを感じることができます。
(引用参考文献)
奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)
那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。
(以下、参考引用文献より一部抜粋)
子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。
(以上)
子供たちは、毎週の道徳科授業を通して、様々な教材と出会っています。多くの教材との出会いを通して、教材の特性を帰納的に学んでいるといえます。そうであれば、子供たち自身が教材を作成することも可能なのではないでしょうか。
そこで、実際に小学校6年生の児童と教材づくりに取り組んでみたところ、このような教材が生まれました。
同じ「幸せになる」という言葉ですが、小学校6年生の考える「幸せ」と、大人の思い描く「幸せ」とでは、見ているものが異なるのでしょう。このように、教材づくりを通して、子供たちの内面を教師は知ることもできるのです。このような教材を授業で実際に扱うこともできますし、朝の会などでの「小さな対話」の教材にすることもできます。教材づくり、ぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか。
(引用参考文献)
奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)
那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。
(以下、参考引用文献より一部抜粋)
子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。私たちは、膨大な数のスクリプトを毎日の生活の中で帰納的に学習し、それを上手に活用しているのです。(中略)このような各教科等の授業スクリプトに沿って、子どもたちは先生ごっこに興じているのです。興じると言っても、学習の一環だと理解はしていますから、実に真面目に取り組みます。とりわけ、先生役の子どもたちは真剣そのもので、事前の準備もしっかりやってきます。
(以上)
子供たちは、日々の道徳科授業を通して、授業の展開や、次にどのような発問をされるのかを自然と学び取っているということです。だからこそ、子供たちが予想できないような発問を授業者が考えることが、授業づくりのおもしろさと言えるかもしれません。
また、異なる視点で考えてみると、子供たちが授業の流れを自然に学んでいるのであれば、授業の計画や進行を子供たちに委ねるということも考えられます。上記で紹介した那須正裕は、以下のようにも述べています。
(以下、参考引用文献より一部抜粋)
「特別の教科 道徳」や学級活動は、ほぼ全面的に子どもに委ねて大丈夫です。必ずしも教師が意図していた展開や結論にはなりませんが、心配するほどにはズレてはいかないものです。また、意図した結論に至らなかったとしても、それではいけないのか、いけないとすれば何を目指して授業をしているのかについては、あらためてしっかりと話し合う必要があるでしょう。そういったことも含めて、「自学・自習」は授業とは何かを深く考えさせてくれます。
(以上)
このように、事前の準備や打合せはもちろん必要となりますが、子供たちが授業者となる道徳科授業も可能なのではないでしょうか。
(引用参考文献)
奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)
道徳科の授業で子供同士の対話を促したい。そのために、発問や展開、学習活動を工夫する。とてもよいことです。しかし、目の前の子供たちは、対話の土台となる「つながり」が構築されているでしょうか。また、対話をするという経験を積んでいるでしょうか。
対話をするうえで、学級の子供たちのつながりがとても重要です。安心できる関係性があるからこそ、積極的に話そうとしたり、きちんと話を聞こうとしたりできます。また、これまでに一つのテーマ(発問)に対して深く考えたり伝えようとしたりする経験を重ねていなければ、この場合もやはり対話をすることに躊躇してしまいます。
そこで、朝の会や帰りの会、予鈴から本鈴の間、授業中の隙間時間などを活用して、年間を通して「小さな対話」を繰り返し行ってはどうでしょうか。その際に、何もテーマがなければ意欲的に話をすることはできません。そこで、市販されているカードなどを使う手立てが考えられます。例えば、「てつがくおしゃべりカード」「シャベリカ」(株式会社アソビジ)などを使うと、その場ですぐにテーマを決め、話を始めることができます。突然にテーマが決まるので、子供たちの対話の瞬発力も育てられます。
このように、対話の力は授業の中だけで育てられるものではないという前提のもと、全ての教育活動を通して育てるものであるという考え方も大事になります。
児童(生徒)理解で大事なことは、相手から聞いた話を自分の常識に当てはめて理解しようとしないことです。道徳科授業においても、「教師」という専門的な立場や知識を脇に置き、今目の前にいる子供たちが何を感じ、何を考え、何を伝えようとしているのか、同じように今を生きている一人の人間として、できる限りの興味をもって聞こうとすることが大事になるでしょう。
いわゆる生徒指導場面において、子供に対して「なぜ、そのようなことをしたのか」と尋ねている姿を見かけます。これは、問題行動における「原因」を尋ねているのであって、「過去」を問うことになります。尋ねられた子供たちは、「だって、〇〇さんが〜」と、思考の矢印を他者に向けてしまいがちです。そして、どれだけ自分の正当性を伝えようとも、その先には「でも、そんなことはしてはいけない」というゴールが見えています。それでは、自分自身の思いや願いを見つめ直すことは難しいものです。
そこで、「あなたはどうしたかったの?」「どうなりたかったの?」と尋ねてみることにします。これは、問題行動における「願い」を尋ねているのであって、「未来」を問うことになります。「未来」を尋ねられた子供たちは、「本当はいっしょに遊びたかった」「仲良くなりたかった」など、思考の矢印を自分に向けることができ、心の奥にある思いを見つめられます。
このように、問い方を変えるだけで子供たちの思考の方向性が変わることがあります。これは、道徳科授業における発問でも同じことが言えるでしょう。「◯◯は、なぜこのような行動をしたのか」という発問を、「◯◯はどうしたかったのか」のように変えることで、子供たちは中心人物の願いや、その先にある未来を想像することができます。このように、「未来を問う」ことも発問や問いを考える際の重要なポイントと言えるでしょう。