2024/11/02

「目標」ではなく「内容」である意味


 「内容項目」をなぜ「目標」と呼ばないのか。そのことについて、宮地忠雄は以下のように説明しています。

(以下、参考引用文献から一部抜粋)

 授業における教師の発問は、いうまでもなくその授業のねらいを達成するために発せられる。これは教科の授業においても同じである。しかし、教科の授業では、概念を形成するとか、思考力を高めるとか、また、読解力や観察力を伸ばす、といったように、客観の世界に対する知識・認識力あるいは処理力を高めることを、その主たるねらいとする。 

 道徳の授業でも、道徳的な価値について、その見方、考え方を伸ばすということは、重要なことである。しかし、それは授業のねらいとなって、その主座を占めることはない。道徳の授業では、つねに、「道徳性の内面的な自覚」こそが、ねらわれ、追求される。道徳的価値と称せられるもろもろのものは、「道徳性の内面的な自覚」に迫る、その迫り方、あるいは側面を示すものにほかならない。36項目が、また、21項目が、「目標」ではなく「内容」である意味もここにある。そのような、もろもろの内容(価値)を手がかりにして「道徳性の内面的な自覚」をねらうことが道徳の時間の指導で問われているのである。

(以上)

 私たちは学習指導要領解説に記載されている内容項目を読み、そこから本時のねらいや授業展開、発問を考えます。しかし、内容項目に書かれていることを理解させることが道徳科の授業で求められていることではなく、それらを手がかりにして内面的な自覚をねらうことが求められている。だからこそ、「目標」ではなく「内容」という言葉が使われているのだと分かります。


《参考引用文献》

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)

2024/11/01

「問い」を引き出し、広げる


 「問い」について、樋口(2020)は「子どもたちの中から生じる疑問、問題意識、探究心が『問い』になる」と述べています。道徳科の授業においても、子供たちの中にある「問い」を引き出すことが、主体的に学ぼうとする力を育む糸口になると考えられます。

 さて、「問い」を引き出すためには教師の手立ても欠かせません。田沼(2020)は「個別の『問い』を意図的に披瀝し合う場を設け、語らいを通してすり合わせ、調和的に調整し合い、学習集団全体の合意形成プロセスを経ての共通追求道徳課題設定を行う」ことを「グループモデレーション」と述べています。この「グループモデレーション」を意識し、まずは、「個別の『問い』を意図的に披瀝し合う場を設ける」ところから授業づくりを始めてはどうでしょうか。


《参考引用文献》

樋口万太郎『子どもの問いからはじまる授業!』(2020、学陽書房)

田沼茂紀『問いで紡ぐ小学校道徳科授業づくり〜学びのストーリーで「自分ごと」の道徳学びを生み出す〜』(2020、東洋館出版社)

2024/10/31

3年生「同じなかまだから」~価値理解の意識~


 日本文教出版社3年生「同じなかまだから」(内容項目:公正、公平、社会正義)の導入について考えます。

 本教材のポイントの一つは、とも子やひろしの「勝ちたい」という気持ちの扱い方です。「勝ちたい」という気持ちは決しておかしなものではありません。しかし、誰かを無理やり仲間から外して勝とうという気持ちは、決して公正なものではないでしょう。

 そこで、例えば導入で「運動会やスポーツ大会で、『勝ちたい』と思うことはいいことかな?」と尋ねます。多くの子が「いいこと」と答えるでしょう(実際に授業をした際には、「時と場合による」という発言もありました)。

 そして、授業中盤のとも子やひろしの「勝ちたい」という気持ちを想像させた時に、「この『勝ちたい』は、みんながいいと言っていた『勝ちたい』という気持ちと同じだね」と尋ねます。すると、「え!違うよ!」「ちょっと待って」というつぶやきが生まれます。そこで何が違うのかを話し合わせるのです。

 また、補助発問として、「もし、学級の運動が得意な子が指にけがをしていたら、同じように見学をすすめるのかな」と尋ねてはどうでしょうか。そうすると、おそらく「見学をすすめない」という反応が出てきます。「でも、それっておかしいよね。何がおかしいのかな?」と問い返すことで、「人によって接し方を変えてはいけない」などの公正、公平の価値観に気づくのではないかと考えます。

 教師が意識しておくべきことは、本教材での学びが、「運動が苦手な子も仲間に入れてあげる」などの「立場の弱い子を仲間に入れる」というものではなく、「人によって接し方を変えてはいけない」というような「公正、公平、社会正義」の価値理解に迫ろうとする意識ではないでしょうか。

2024/10/30

3年生「同じなかまだから」~教材文への配慮~


 日本文教出版社3年生「同じなかまだから」(内容項目:公正、公平、社会正義)について考えます。

 本教材は、「運動会で勝ちたい」という気持ちから、運動が苦手な光夫を見学させようとするお話です。

 教材文で、光夫の紹介が「光夫は、何をするにもおそいのですが、運動はとくべつ苦手なのです」と書かれています。この文を読むだけで、なんだか悲しい気持ちになります。教室の中にいる運動が苦手な子供たちは、この文をどのような気持ちで読んでいるのでしょうか。まるで、運動が苦手な子は立場的に弱い存在なのだと、暗に教え込んでいる教材に思えてしまいます。

 「何をするにもおそい」という文言についても、だれが何を基準にして「遅い」と判断しているのでしょうか。「レッテルを貼る」ことを認めているような書き方に、違和感を感じてしまいます。

 授業をする際は、上記のような感覚を抱く子供たちがいることを想定し、学級の誰かが嫌な思いをしないよう配慮する必要がある教材だと考えます。

2024/10/18

令和の道徳科授業

令和の道徳科授業


 令和6年7月10日に「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等 の在り方に関する有識者検討会」が出した「令和4年度 小学校学習指導要領実施状況調査の結果について(道徳科)ー質問調査版ー 速報版」に、道徳科授業の改善の方向性が2点記されています。

【成果と課題を踏まえた改善の方向性】

「内面的資質としての道徳性を養っていく時間」という道徳科の特質や目標を踏まえ、より一層「考え、議論する道徳」の質的充実、「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善を図っていく必要がある。


道徳科の指導の積み重ねと、児童の自己肯定感や多様な考えを理解しようとする態度、いじめの未然防止に関する認識等については関係が深いと考えられていることから、引き続き、道徳科を要とした道徳教育について、内容項目の相互の関連性や、学年段階ごとの発展性を考慮して指導を行っていくことが重要である。

 

 この記述を見る限り、次期学習指導要領においても「考え議論する道徳」「主体的・対話的で深い学び」という大きな方向性は変わらないように感じます。

 ここで注目したいのは、次の2点です。

(1)内容項目の相互の関連性を考慮して指導を行うこと

(2)学年段階ごとの発展性を考慮して指導を行うこと

 これまでも上記のことを考慮して授業を構築していましたが、今後ますます重視されることが予想されます。例えば、「いじめ」をテーマにして、一つの教材で複数の内容項目を想定した授業を行うという授業スタイルも考えられるでしょう。

2024/05/29

2年生「およげないりすさん」(4)

 本教材は、場面前半では泳げないりすさんがお願いをしても島へ連れていってもらえない場面が描かれていて、場面後半は「いっしょに島へ行こうよ」「僕の背中に乗りなさいよ」と島へ誘ってもらう場面が描かれています。

 場面前半で「僕もいっしょに連れていってね」と言ったけれど断れたりすさん。その時に悲しく感じたことでしょう。翌日に「いっしょに行こう」と言われても、すぐに納得できるものでしょうか。

 そこで、例えば「今日『も』ぼくは泳げないよ。昨日は連れていってくれなかったのに、今日はどうして誘ってくれるの?」という補助発問はどうでしょうか。りすは変わっていないけれど、かめ・白鳥・あひるの心情が変容したことを『も』という助詞を用いることで気づかせます。そのうえで、「3人の方がたくさん遊べるのに、なぜ今日は誘ってくれるの?」「3人より4人で遊ぶことのよさは?」と問い返すこともよいでしょう。

2024/03/05

道徳科における「めあて」について


 道徳科授業における「めあて」について考えます。

 道徳科でも、他教科と同様に「めあて」を立てる学校が全国的に多くなってきました。従来の「めあて」は、例えば「友情について考えよう」という提案型の「めあて」でした。しかし、これから求められるのは、「仲良しと親友の違いはなんだろう」というような疑問型のめあてだと言われています

 さて、「めあて」があれば「ふり返り」も必要です。道徳科授業では、どの場面で「めあて」についてふり返ればよいのでしょうか。

 めあてに戻ってふり返るさせるタイミングは終末場面ではありません。「めあて」は終末のふり返りで迫る(深める)ものではなく、考え議論することによって迫る(深める)ものとして捉えましょう。終末の場面で「めあてに戻って感想を書きましょう」としては、考え議論する授業として成立していないということです。

 加えて、中心発問で価値理解が深まらなければ、めあてに戻って考えさせても効果はありません。中心発問で深まったからこそ、補助発問でめあてに戻すことに意味が生まれるのです。

2024/03/04

小学校6年生教材「言葉のおくり物」(3)

 

 本教材では、「一郎」「すみ子」「たかし」の3名が主要な登場人物になります(信夫や、学級のみんなも登場します)。複数の人物が登場する教材ですが、誰に焦点を当てて授業を作ればよいでしょうか。

 例えば、多面的・多角的な思考を促すために3名それぞれの思いを捉えさせる展開が考えられます。また、考え議論する授業づくりのために、「人物(思考)の対比」として、「すみ子」と「一郎」の思考を対比させる展開も有効かもしれません。

 さて、ここで着目したいのは中心人物である「一郎」です。実は、一郎の中にも「たかし」や「みんな」と共通する思いがあります。たかしと同じように「男女仲良しはおかしい」という思いがあるから、たかしの方に安易に流されたといえるからです。

 そこで、「前半の一郎」と「後半の一郎」を対比させることによって、周りを気にして友達のよさを見ていない一郎の思考を深く考えさせることも、本教材の授業づくりにおいて効果的な手立てになります。