2023/06/30

裏庭でのできごと(1)


 中学校1年生教材「裏庭でのできごと」(日文)について考えていきます。

 本教材の後半に、中心人物(健二)がもやもやした気持ちで鏡(姿見)を眺める場面が描かれています。現在の教材文では「鏡を眺めながら考え続けた」となっていますが、過去の(他社の)教材文では3人(健二、雄一、大輔)の3人が肩を組んでいる写真を眺める場面が描かれているようです。

 なぜ、「3人の写真」と「鏡(姿見)」という違いがあるのでしょうか。そこには、内容項目の設定と関係があると考えられます。本教材の内容項目は「A 自主、自律、自由と責任」です。鏡(姿見)を眺めて自分の姿を見つめることで、中心人物が自己(自分)の生き方を深く考えている姿を描きたかったのではないかと推測できます。「3人の写真」だと、生徒の思考がどうしても「友情、信頼」の方に流れてしまうからでしょう。

 教材の文章が異なるということは、その箇所が授業の展開に大きな影響を与える可能性があるといえます。そうであれば、本教材での中心発問場面は、この「鏡を眺めながら考え続けている」場面としてもよいのではないかと考えられます。

2023/06/28

道徳的価値への尊敬の念


 宮地忠雄は、道徳の時間(当時)の目的について、以下のように述べています。

(以下、抜粋)

道徳的感覚は、自己の内面において、道徳的価値をどのようにとらえているかに大きく左右される。であるから、考えようによれば、道徳の時間は、道徳的な価値についての認識を深めさせ、その実現について尊敬の念を抱かせ、豊かな、そしてきびしい道徳的感覚を育成する時間ともいえよう。

(以上)

 道徳科の教材には、道徳的な問題に対しての中心人物の葛藤・決断が描かれています。しかし、スポーツ選手や偉人を扱った教材で授業をすると、「僕には無理・・・」という発言がよく聞こえてきます。だからこそ、「無理」「できない」という思考を「すごい」「ワクワクする。ぼくもがんばりたい」と変えられるような発問や展開が必要になってきます。例えば、幼少期のエピソードや動画(映像)を補助教材として活用するなどして、発問や展開を工夫するということも道徳科の授業づくりでは大事なのです。


《参考引用文献》

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)


2023/06/27

内面的な世界に自ら問いかけさせる発問


 道徳科(書籍執筆当時は「道徳の時間」)の授業づくりについて、宮地忠雄は、以下のように述べています。

(以下、抜粋)

 道徳の時間の指導では、子どもに、その自己の内面的な世界に、自ら問いかけさせることを授業成否のキーポイントにする。子どもたちは、それをふまえて、みんなでいっしょに考え、ともに語り合って、ひとりひとりが、それぞれ、めざされている道徳的価値について、主体的な自覚をより深めていく。

(以上)

 「自己の内面的な世界に自ら問いかけるさせる」とは、現在の「特別の教科 道徳」の目標にある「自己を見つめる」や「生き方についての考えを深める」という学習活動に通じるものがあると考えられます。

 そのうえで、宮地は「これ(自ら問いかけさせること)を可能にするものは、教師の発問にほかならない。この意味において、道徳授業における発問は、教科の、授業における発問とはちがって、特別の意味と役割をもっているものである」と述べています。道徳科授業における「発問」の重要性を、教科化された今こそさらに意識していきたいものです。


《参考引用文献》

宮地忠雄『道徳指導シリーズ8 道徳授業と発問』(1973,明治図書出版)


2023/06/22

子どもの興味に関する研究


 心理学者のモロゾーヴァは「認知的葛藤」や「葛藤を解決のための努力」の重要性を訴えています。モロゾーヴァによると、はじめに子どもたちに何らかの情報を与え、その後で明らかにそれとは一致しない事実を知らせることが、子供たちにとっての教育的な価値、および関心を誘発する上で大変重要になるとしています。

 一つの例として、「植物の成長と生存にとって日光が必要であることを聞かされた子供たちが、それと同時に、日光のないところでも生きることのできる植物(きのこ)が存在することを指摘される」という例をあげています。一貫性を欠くと思われる諸事実にぶつかり、そして、その葛藤を解決する努力が行われると、子供たちの興味が高まるということです。

 道徳科授業での「考えたい!」を引き出すヒントが、このモロゾーヴァの研究から見つかるのではないでしょうか。


《参考引用文献》

橋本七重・小杉洋子『バーライン 思考の構造と方向』(1970,明治図書)

2023/06/21

子どもの興味に関する研究


 心理学者のモロゾーヴァは、学童の「興味」について多数の研究を行い、「興味」が生まれる諸条件を結論づけています。

(1)読まれるものは、読み手が答えにくいと思うような疑問を生じるものでなけれなばらない。

(2)疑問にぶつかる主人公がいる。

(3)主人公は答えのために積極的な探求を行っている。

(4)困難や困惑に対する「奮闘」という、中心的要素が存在する。

 これらの諸条件によって、読み手(子供たち)の思考に「認知的葛藤」がつくられます。また、読み手は主人公との同一視の可能性があることによって、代理性の葛藤の経験もできます。

 このことから、モロゾーヴァは、「困難を克服し、葛藤を解決しようとする主人公の努力が成功することは、課題のもつ特殊な疑問に対する答えを知りたいという読み手の欲求を満足させるだけでなく、同じ話題について、一層知識を得たいという熱意をも刺激するようである」とまとめています。

 この「興味」を生み出す諸条件と、その諸条件から生まれる「認知的葛藤」と「代理性の葛藤の経験」こそ、道徳科授業で大事にすべきものではないでしょうか。


《参考引用文献》

橋本七重・小杉洋子『バーライン 思考の構造と方向』(1970,明治図書)

2023/06/20

認知的葛藤の主な型


 心理学者のバーライン(1924-1976)は、「認知的葛藤」について主な型を6つ提案しています。

疑い

「信じる」と「信じない」、あるいは「認める」と「否定する」との間に起こる葛藤。

当惑

どちらに対しても被験者を傾かせる諸要因が存在しているときに生じる葛藤。

矛盾

特に強い種類の葛藤であり、「疑い」のうちの限られた事例を形成する葛藤。

認知的不調和

二つの特性AとBは一緒に起こることはないと信じているのに、ある対象はその両方をもっていると信じないわけにいかなくなるときに生じる葛藤。

(例)魚は水と離れては生きていけないと教育されてきたのに、乾いた土の上を歩く魚について聞かされた人がその状態。

混 乱

意味のはっきりしない情報によって作り出される葛藤。どんな選択肢があるかあげることもできないまま、何が正解であるか分からずじまいになる。

不適切

解決に近づけそうもない考えが、他をおさえて前面に出てきてしまうような場合の葛藤。

 

 道徳科授業においても、子供たちが「う〜ん」と考えている場面では、上記のいずれかの「認知的葛藤」が起こっているといえます。発問を考える際に、どの「認知的葛藤」を生み出すかを授業者が意図することも、子供たちが深く考える道徳科授業につながるのではないでしょうか。


《参考引用文献》

橋本七重・小杉洋子『バーライン 思考の構造と方向』(1970,明治図書)

2023/06/19

いつ、問い返しますか?


 「問い返し」の発問について、子供たちの発言に対して「その場で問い返すか」と「後でまとめて問い返すか」のどちらがよいのかと尋ねられることがあります。この疑問に答えるには、「何のために問い返すのか」ということを考えないといけないでしょう。


【その場で(個人に)問い返すことの目的例】

 ・発言者個人の内面を引き出す(気付かせる)ため

 ・「あなたの意見に先生は興味があるよ」とメッセージを送るため

 ・発言者の思考に注目させることで、個人の視点を全体に広げるため 


【あとで(全体に)問い返すことの目的例】

 ・全体で深く考えさせるため

 ・話し合う論点を整理するため

 ・複数の意見の中から相違点を見つけさせるため

 ・他者の意見を聞いて感じたことをもとに議論を深めさせるため


 問い返しについては、上記のような目的が考えられます。なお、問い返しの方法としては、「個人の発言をその場で全体に問い返す」という手法もあります。「◯◯さんの意見について、みんな理解(共感)できたかな?」という問い返しです。このような手法も取り入れることで、「道徳科の時間は学級全体で話し合う」という意識をもたせていくことも大切になるでしょう。


2023/06/16

生き方を考えるとは?


 道徳科の授業を通して、最終的には自己(人間)としての生き方を考える子供たちを育てることが求められています。そこで、「生き方を考える」ために必要なことは何かをを問われると、どのようなことが思いつくでしょうか。

 「生き方を考える」ために必要な要素の一つとして、子供たちが「自分ごととして考える」ということがあげられます。そして、そのためには授業の中で「葛藤」や「驚き」、「不安」、「発見」等の要素が組み込まれていることが大切になってくるでしょう。