奈須氏は、「個別最適な学びと協働的な学びの関係(独自学習と相互学習の往還)」について、奈良女子大学附属小学校の例をもとに以下のように述べています。
(以下、著書より抜粋)
木下竹次と奈良女附属小は、自分たちの取組を「学習法」という言葉で説明してきました。それは、どうやって子どもに教えるかという教授法ではなく、子どもたちはどのように学び育つか、また、学校や教師はそれをどのように支えるかを柱にして、日々の教育実践や教育研究を推進していこうとの立場を象徴しています。
そんな同校では、「特設学習時間」を典型とした個々人による自立的な学習を「独自学習」と呼ぶのですが、同時に集団で協働的に学び合う「相互学習」も大切にしていて、学習過程としては、独自学習→相互学習→独自学習という流れを理想としていました。これが、奈良の学習法の基本原理の一つということになります
この原理は今日でもなお大切にされていて、同校では普通の教科学習でも、まずは独自学習によって一人ひとりがしっかりと学び深めます。しかも、算数科の授業などでよくやられる「自立解決七分間」といったちゃちなものではなく、丸一時間、場合によっては数時間をかけて一人でじっくりと課題や教材と向き合い、納得がいくまで考え抜いたり調べたりする学習になることが多いです。
戦後、文部省で小学校社会科の創設に関わり、後に同校の主事を務めた重松鷹泰は「孤独の味」という言葉で独自学習の意義というか、その独特なたたずまいを表現しています。一人静かに沈思黙考して課題と正対し対話すること、また、その過程において必然的に生じるであろう自己との正対や対話は、その子の学び、そして成長にとって、きわめて貴重にして決定的に重要な経験となるに違いありません。
(以上)
道徳科授業で、上記の「独自学習」がどれぐらい確保されているかを想像してみると、ほぼ確保できていないという現実があります。ワークシートに考えを書く時間はあるかもしれませんが、子供たちの「書きたい」という気持ちから生まれた時間ではなく、教師の指示によって生まれる時間なので、奈良女子大学附属小の「独自学習」とは異なるものといえるでしょう。
道徳科では一つの内容項目について年間で複数時間扱います。例えば、そのうちの一時間を「独自学習」として取り組んでみてはどうでしょうか。新聞記事や補助資料等を使い、自分たちで道徳的諸価値について考える時間を十分に確保する。事前に教材を読ませておいて、自らの考えをしっかりともたせておく。そのうえで、授業時間を「相互学習」の時間として扱う。
従来の道徳科授業は45分(50分)を一つの括りとして考えていました。令和の道徳科授業を考える際、その授業観を今一度見直してみてはいかがでしょうか。
《引用参考文献》
奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)