1945年に終戦を迎え、教育の方針も大転換を迎えました。9月15日発表の「新日本建設の教育方針」は教育勅語を擁護する姿勢を明示し、過去の誤りは教育勅語そのものにあるのでなく、その運用に失敗があるとしました。
そこで、教育勅語精神の骨格をそのままに、国家主義的な色彩を民主主義的な色彩に塗りかえることで新教育体制を発足させるために公民教育重視の方針を打ち出し、政府は公民教育刷新委員会を設けます。12月には、「道徳は元来社会における個人の道徳なるが故に『修身』は公民的知識と結合してはじめてその具体的内容を得、その徳目も現実社会において実践さるべきものとなる」として、公民科を確立すべきという答申が出されました。
しかし、連合軍総司令部は覚書指令をあいついで発出し、軍国主義の徹底的払拭を図ります。日本政府の当初の思惑は基本的に否定され、特に、「修身・日本歴史及地理停止に関する件」(12月31日覚書)によって、日本の道徳教育は180度転換を余儀なくされます。戦前の教育体制の中核であった修身科が完全に姿を消すことになるのです。これにより修身科教科書類は回収されることになりました。
そして、翌年に来日した教育使節団は、報告書の中で、道徳教育のあり方には、フランス式の独立教科システムと、アメリカ式の特別の道徳教科を設けず教育活動の全面において行う方式の二様があり、どちらもそれぞれ正当な根拠をもっていて、今後の方針は日本人に委ねて、ただそれが平和的に教えられ民主主義の方向に向けられることだけを条件とする報告をしています。
これらにより、戦前の道徳教育体制は撤廃されましたが、問題はそれに代わるべき徳育をどのように構想するかということにありました。
《参考引用文献》
上田薫・平野智美『教育学講座16 新しい道徳教育の探求』(1979,学習研究社)
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