2024/11/18

学期末(学年末)のふり返りから考える発問の在り方


 学期末や学年末に、道徳科の授業全般についてのふり返りを行っているでしょうか。毎時間の授業の最後にふり返りや感想を書かせている先生は多いと思いますが、学期末(学年末)のふり返りもとても大事になります。毎時間のふり返りと異なり、「学び方」についてもゆっくりと見つめることができるからです。

 例えば、ある年の5年生児童が次のようなふり返りを書いていました。

ぼくの思う授業のよさは、問題が出てきて、考えて、また問題が出てきて、考えて、という「考える」ことができるのが道徳科の授業のよさです。

今までで一番よかったなと思ったのは、「うばわれた自由」です。なぜなら、わたしはこの授業でいろいろな意見が出て、「じゃあ、もっと規則を増やしたらいいんじゃない?」などの疑問が出てきて、いちばん自分たちで話し合えたと思うからです。

 どちらのふり返りも、児童自身が感じた授業のおもしろさを書いています。そして、この二人に共通することは、「わかりやすい授業がよい」というものではなく、「問題や疑問が次々と出てくる授業がおもしろい」と感じていることです。まさに、主体的に学ぼうとできているのではないかと考えます。

 さて、元立教大学助教授(当時)の松平信久は、発問に係る書籍の中で以下のように述べています。

(以下、引用参考文献より一部抜粋)

 その発問が、その時間全体を通して解決すべき問いと密接に結びつき、全体的構造をもって子どもたちに投げかけられた時に、彼らはその発問の多様さにもかかわらず、自分たちが取り組んだ問いは一時間全体を使って解決すべき一つの問いであったと実感するのである。

 自分たちの能力の限りを尽くして考え、それによって問題を乗り越える喜びを知る。問題の解決によって新しい地平の開けていることを知るとともに、そこにはまた新たなる課題の山脈が続いていることを知る

 子どもたちはそのような知的体験を強く欲しているのである。道徳の時間に対しても、そのような知的格闘を通しての作業を彼らは望んでいる。

(以上)

 松平が述べている「課題の山脈」こそ、主体的な学びで求められるいるものであり、道徳科授業で追い求めていきたい発問の在り方なのではないでしょうか。


《参考引用文献》

上田薫・平野智美『教育学講座16 新しい道徳教育の探求』(1979,学習研究社)

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