終末場面で一つの正解を導こうとする授業を散見します。「〇〇が大事だね」と授業をまとめようとする姿を子供たちが見続けると、道徳科には先生だけが決められる正解があるのだと思ってしまいます。それでは、子供たちが主体的に生き方を考えることはできないでしょう。
さて、井上治郎は、著書の中で終末場面で大事にしたいことについて、「教室内のやりとりが、教室外にも延長されるようにしむけることだけである」と述べています。これこそ、自己(自分)の生き方について考えを深めることを求められている道徳科の終末場面にふさわしい考え方だと思われます。
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