2024/10/31

3年生「同じなかまだから」~価値理解の意識~


 日本文教出版社3年生「同じなかまだから」(内容項目:公正、公平、社会正義)の導入について考えます。

 本教材のポイントの一つは、とも子やひろしの「勝ちたい」という気持ちの扱い方です。「勝ちたい」という気持ちは決しておかしなものではありません。しかし、誰かを無理やり仲間から外して勝とうという気持ちは、決して公正なものではないでしょう。

 そこで、例えば導入で「運動会やスポーツ大会で、『勝ちたい』と思うことはいいことかな?」と尋ねます。多くの子が「いいこと」と答えるでしょう(実際に授業をした際には、「時と場合による」という発言もありました)。

 そして、授業中盤のとも子やひろしの「勝ちたい」という気持ちを想像させた時に、「この『勝ちたい』は、みんながいいと言っていた『勝ちたい』という気持ちと同じだね」と尋ねます。すると、「え!違うよ!」「ちょっと待って」というつぶやきが生まれます。そこで何が違うのかを話し合わせるのです。

 また、補助発問として、「もし、学級の運動が得意な子が指にけがをしていたら、同じように見学をすすめるのかな」と尋ねてはどうでしょうか。そうすると、おそらく「見学をすすめない」という反応が出てきます。「でも、それっておかしいよね。何がおかしいのかな?」と問い返すことで、「人によって接し方を変えてはいけない」などの公正、公平の価値観に気づくのではないかと考えます。

 教師が意識しておくべきことは、本教材での学びが、「運動が苦手な子も仲間に入れてあげる」などの「立場の弱い子を仲間に入れる」というものではなく、「人によって接し方を変えてはいけない」というような「公正、公平、社会正義」の価値理解に迫ろうとする意識ではないでしょうか。

2024/10/30

3年生「同じなかまだから」~教材文への配慮~


 日本文教出版社3年生「同じなかまだから」(内容項目:公正、公平、社会正義)について考えます。

 本教材は、「運動会で勝ちたい」という気持ちから、運動が苦手な光夫を見学させようとするお話です。

 教材文で、光夫の紹介が「光夫は、何をするにもおそいのですが、運動はとくべつ苦手なのです」と書かれています。この文を読むだけで、なんだか悲しい気持ちになります。教室の中にいる運動が苦手な子供たちは、この文をどのような気持ちで読んでいるのでしょうか。まるで、運動が苦手な子は立場的に弱い存在なのだと、暗に教え込んでいる教材に思えてしまいます。

 「何をするにもおそい」という文言についても、だれが何を基準にして「遅い」と判断しているのでしょうか。「レッテルを貼る」ことを認めているような書き方に、違和感を感じてしまいます。

 授業をする際は、上記のような感覚を抱く子供たちがいることを想定し、学級の誰かが嫌な思いをしないよう配慮する必要がある教材だと考えます。

2024/10/18

令和の道徳科授業

令和の道徳科授業


 令和6年7月10日に「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等 の在り方に関する有識者検討会」が出した「令和4年度 小学校学習指導要領実施状況調査の結果について(道徳科)ー質問調査版ー 速報版」に、道徳科授業の改善の方向性が2点記されています。

【成果と課題を踏まえた改善の方向性】

「内面的資質としての道徳性を養っていく時間」という道徳科の特質や目標を踏まえ、より一層「考え、議論する道徳」の質的充実、「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善を図っていく必要がある。


道徳科の指導の積み重ねと、児童の自己肯定感や多様な考えを理解しようとする態度、いじめの未然防止に関する認識等については関係が深いと考えられていることから、引き続き、道徳科を要とした道徳教育について、内容項目の相互の関連性や、学年段階ごとの発展性を考慮して指導を行っていくことが重要である。

 

 この記述を見る限り、次期学習指導要領においても「考え議論する道徳」「主体的・対話的で深い学び」という大きな方向性は変わらないように感じます。

 ここで注目したいのは、次の2点です。

(1)内容項目の相互の関連性を考慮して指導を行うこと

(2)学年段階ごとの発展性を考慮して指導を行うこと

 これまでも上記のことを考慮して授業を構築していましたが、今後ますます重視されることが予想されます。例えば、「いじめ」をテーマにして、一つの教材で複数の内容項目を想定した授業を行うという授業スタイルも考えられるでしょう。