2025/11/04

6年生「わたしのせいじゃない」~傍観者に着目~


 内容項目「公正、公平、社会正義」の指導の要点(高学年)に次のような記載があります。

(以下、学習指導要領(平成29年告示)解説より一部抜粋)

 一方、いじめなどの場面に出会ったときにともすると傍観的な立場に立ち、問題から目を背けることも少なくない。こうした問題は、自分自身の問題でもあるという意識をもたせることが大切である。

(以上)

 このように、「傍観的な立場」という表現がはっきりと記されています。教材「わたしのせいじゃない」に登場する14名の中には、その傍観的な立場で発言をしている子が出てきます。本教材を「傍観的な立場」に焦点を当てて授業を行うという工夫もできるでしょう。





2025/10/31

6年生「わたしのせいじゃない」~構成的グループエンカウンター~


 日本文教出版社6年生の教材「わたしのせいじゃない」を、構成的グループエンカウンターの観点で授業を考えます(構成的とは「枠を与える」、グループは「小集団」、エンカウンターは「出会い」という意味になります)。

(1)本教材で描かれている14名の子の発言をカードにして小グループ(3~4名)に配ります。

(2)そのカードをグループごとに「許せない順」に並び替えさせることで、それぞれの価値観を交流させます。

(3)並び替えたカードの、どこまでを許せるのかグループで判断させます(定規などで区切らせます)。ここでは、おそらく一般的な視点(自分事ではない)で子供たちは判断するでしょう。

(4)最後に、その区切ったところまでを、あなた自身が被害者の場合許せるのかを尋ねます。この時、子供たちは初めて自分事として考え、一般的な視点とのずれに気づきます。なぜ、そのようなずれが生じるのかを考えさせてもよいでしょう。

 普段の道徳科授業と異なり、常に教師の顔を見て考えるのではなく、友達の顔を見て考えられることがこの授業形態の特徴です。また、「並び替える」「区切る(判断する)」などの活動の中でグループでの対話がたくさん生まれる授業にもなります。時に、このような授業もよいのではないでしょうか。

2025/10/29

内容項目の四つの視点


 道徳科の内容構成は、4つの項目(内容項目)が示されています。そして、それら4つの項目は、それぞれが独立したものではなく、相互に深い関連をもっています。

(以下、学習指導要領解説第3章第1節(2)四つの視点から一抜粋)

 この四つの視点は、相互に深い関連をもっている。例えば、自律的な人間であるためには、Aの視点の内容が基盤となって、他の三つの視点の内容に関わり、再びAの視点に戻ることが必要になる。また、Bの視点の内容が基盤となってCの視点の内容に発展する。さらに、A及びBの視点から自己の在り方を深く自覚すると、Dの視点がより重要になる。そして、Dの視点からCの視点の内容を捉えることにより、その理解は一層深められる

(以上)

 このことを分かりやすくすると、次の表のような記述になるでしょうか。


自己(A)を基盤に、他者(B)、社会(C)、生命・自然(D)と関わり、自己の生き方(A)を確立する。

人との関わり(B)の経験が、集団や社会(C)への参画意識に発展する。

自己(A)と人との関わり(B)を踏まえて、生命や崇高なもの(D)への認識を深める。

生命の尊さ(D)といった根源的な価値から、社会のルールや正義(C)の意味を深く理解する。

 

 多くの道徳科授業では、一つの教材に一つの内容項目で授業を構成しています。しかし、内容項目が相互に関連をもっている以上、様々な視点から授業を構成する必要があると考えることもできるでしょう。

2025/09/10

道徳科授業の構想 ~何を考えさせたいのか~


  道徳科授業の発問や展開を考える際、何から考え始めたらよいのでしょうか。時系列に導入場面から考え始めますか? 

 ここで提案をしたいのは、まずは「この教材で何を考えさせたいのか」ということを決めてはどうかということです。学習指導要領解説を読み、その記述と教材文を関連させることで、その教材で一番何を考えさせたらよいのかを決めることができます。教材を教えるのではなく、教材で教える。その教えるものは何なのかということです。


2025/09/08

子供たちによる教材づくり(3)


  小学校6年生の子供たちと行った「道徳科の教材づくり」という活動で作成した、子供たちによる自作教材です。日常生活と密接な内容になっています。日頃の作文指導の一つとして取り組むこともできます。


2025/09/05

子供たちによる教材づくり(2)


  小学校6年生の子供たちと「道徳科の教材づくり」という活動を行ってみました。子供たちは、それぞれの日常の中でのうれしかったことやで困ったことなどを思い出しながら、みんなで話し合ってみたいことを書き綴っていました(内容項目の指導や紹介などはしていません)。

 那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。

(以上)

 この教材づくりという活動においても、子供たちは道徳科の教材の基本的な流れをこれまでの経験から学び取っていることを感じることができます。 


(引用参考文献)

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)

2025/09/03

子供たちによる教材づくり(1)


 那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。

(以上)

 子供たちは、毎週の道徳科授業を通して、様々な教材と出会っています。多くの教材との出会いを通して、教材の特性を帰納的に学んでいるといえます。そうであれば、子供たち自身が教材を作成することも可能なのではないでしょうか。 

 そこで、実際に小学校6年生の児童と教材づくりに取り組んでみたところ、このような教材が生まれました。

 同じ「幸せになる」という言葉ですが、小学校6年生の考える「幸せ」と、大人の思い描く「幸せ」とでは、見ているものが異なるのでしょう。このように、教材づくりを通して、子供たちの内面を教師は知ることもできるのです。このような教材を授業で実際に扱うこともできますし、朝の会などでの「小さな対話」の教材にすることもできます。教材づくり、ぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか。


(引用参考文献)

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)

2025/09/01

子供たちが授業者となる道徳科授業の可能性


 那須正裕は、著書の中で以下のように述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 子どもたちは毎日の授業を通して、各教科等に特徴的な授業の基本的な流れを帰納的に学び取っています。これを心理学でスクリプトと言います。私たちは、膨大な数のスクリプトを毎日の生活の中で帰納的に学習し、それを上手に活用しているのです。(中略)このような各教科等の授業スクリプトに沿って、子どもたちは先生ごっこに興じているのです。興じると言っても、学習の一環だと理解はしていますから、実に真面目に取り組みます。とりわけ、先生役の子どもたちは真剣そのもので、事前の準備もしっかりやってきます。

(以上)

 子供たちは、日々の道徳科授業を通して、授業の展開や、次にどのような発問をされるのかを自然と学び取っているということです。だからこそ、子供たちが予想できないような発問を授業者が考えることが、授業づくりのおもしろさと言えるかもしれません。

 また、異なる視点で考えてみると、子供たちが授業の流れを自然に学んでいるのであれば、授業の計画や進行を子供たちに委ねるということも考えられます。上記で紹介した那須正裕は、以下のようにも述べています。

(以下、参考引用文献より一部抜粋)

 「特別の教科 道徳」や学級活動は、ほぼ全面的に子どもに委ねて大丈夫です。必ずしも教師が意図していた展開や結論にはなりませんが、心配するほどにはズレてはいかないものです。また、意図した結論に至らなかったとしても、それではいけないのか、いけないとすれば何を目指して授業をしているのかについては、あらためてしっかりと話し合う必要があるでしょう。そういったことも含めて、「自学・自習」は授業とは何かを深く考えさせてくれます。

(以上)

 このように、事前の準備や打合せはもちろん必要となりますが、子供たちが授業者となる道徳科授業も可能なのではないでしょうか。


(引用参考文献)

奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』(2021,東洋館出版社)